Gonta398

記事一覧(32)

兵どもが夢の跡(随想)

「兵どもが夢の跡」(随想)もう35年も前の話だが、僕が社会人となったころには、日本金属工業、日本ステンレス、日本冶金工業という3社があった。これらは、電気炉でスクラップを溶かしステンレス鋼を製造する会社だ。売上はそれぞれ1千億円程度だった。いまどきの巨大企業からみれば大した額ではないが、もっと規模の小さな鉄鋼会社も数多くあった。当時はこれらを「ステンレス専業3社」と呼んでいた。それぞれの労働組合も、常に他の2社の様子を睨んで動いていた。その3社のうち最初に名前が消えたのは日本ステンレスだった。住友金属工業に合併された。それからしばらく経って、僕のいた日本金属工業が、日新製鋼と合併した。実質的には吸収合併といっていいかも知れない。日本金属工業の名前は消え、日新製鋼となった。時を置かずその日新製鋼も、日本製鉄に飲み込まれ、名前を日鉄日新製鋼と変えた。日本製鉄というのは新日本製鐵の新社名だ。そして本日2020年4月1日、その日鉄日新製鋼も、日本製鉄に合併され解散した。これですべてが、日本製鉄の名のもとに一本化された。鉄鋼は合併を繰り返しスケールメリットを追求することで、みずからの生き残りを模索しているのだろう。話は相前後するが、日本のインフラ整備があらかた終わり、鉄鋼は構造不況業種といわれ続けてきた。会社は利益なき繁忙に追われた。注文はあるが取引価格を叩かれ、つくればつくるほど赤字を出した。だが、製造をやめると会社は潰れてしまう。まさに自転車操業だ。これが川上産業の宿命だった。川上産業というのは、完成品メーカーなどの川下産業に対して、原材料メーカーを指していう言葉だ。製造所で働いていた僕らは、残業代を自主返納してまで頑張っていた。もっとも僕は入社5年で転職してしまったので、大きなことはいえない。だが、そんな思いまでして働いた会社があっさりと消えてしまった。社会人としてのイロハを教えてくれた会社でもあったので、感慨もひとしおだ。会社って一体何なのだろうか。誰のためのものなのだろうか。苦楽をいっとき共にした思い出だけがひとり歩きをするようになるなんて……。「夏草や兵どもが夢の跡」という芭蕉の句が脳裏をかすめる。元ドリフターズの志村けんさんが亡くなってしまった。影の薄いところなんて微塵もなかったのに。人も会社も、こちらの想いとは関わりなく、サッと姿を消す。無常である。了小倉一純

会社消滅

「会社消滅」本日、3月31日をもって、僕が社会人となって最初に勤務した会社がこの世から姿を消します。わずか5年の在籍でしたが、僕が初めて社会の風を受けたのが、この会社でした。 図らずも経理課―ビジョンのない僕には特に希望などなかったのですが―に配属となり、僕はとてもショックを受けたことがあります。それは、自分がまったく仕事ができなかったことです。 経理課では、高校を卒業して経理の専門学校に1年通った女子社員の方が余程、役に立っていました。当時、銀行でもこんな笑い話がありました。ある大卒が、 「すみません。この帳面に借方、貸方というのがあるんですけど、どこから借りて、どこに貸した、という意味なんでしょうか」 (周囲唖然) 僕は原価計算係でしたので、借方貸方は分からなくても仕事はできましたが、まあ似たようなことでした。 その後、僕は、事務処理ということと真剣に取り組み、役に立たない大卒と言われないように、技能向上に心血を注ぎました。今もそのことを肝に銘じています。 元来、大雑把でズボラな僕ですが、この会社でショックを受けたお陰で、今では様々な事務処理を上手くこなせるようになりました。そういう意味で、この会社は、僕にとっては、大きなターニングポイントとなりました。 その会社が結局、日本製鉄という大きな会社に飲み込まれてしまいました。かつての本社も、横浜、川崎、相模原の工場も、もうありません。そして、最後まで稼働していた、知多半島の付け根の臨海工場も、本日をもって稼働停止となります。 製鉄業は素材産業で、物の流れからいっていわゆる「川上産業」に当たります。1999年に日産の総帥としてカルロス・ゴーンが着任してからは、部品、素材メーカーへの徹底的な値引き要求の煽りで、そのしわ寄せを最も受けたのが、最も川上の素材メーカーでした。 その「ゴーン・ショック」が、製鉄業界の「業界再編」を促進したと言われています。注文はあるから忙しいが、利益が出ない。それどころかつくればつくるほど赤字が出る。こういうのを「自転車操業」と言います。業界では「利益なき繁忙」と言い、とても苦しんだようです。 もっとも、僕はそのころはもう他社に移っていましたから、それを直接経験したわけではありません。 そんな思い出や想いのある会社です。それが、今日でこの世から姿を消すことになりました。残念、の一語に尽きます。 了小倉一純 2022.03.31 

萌えの向こう側(工場その3)

「萌えの向こう側」(工場その3)工場萌えの女子たちは、ただ単に工場群の夜景がきれいだから、惹かれているのではないと思う。工場にある建物は通常「建屋」と呼ばれている。たてや、と読む。その建屋の多くは、屋根や外壁などはスレートで出来ている。波板だが、石膏ボードに近い感じの素材だ。それに経年の汚れが染み付いて、なんともいえず地味な佇まいだ。家電やクルマや一般住宅のような、カラフルさや派手さはない。流行を追いかけるなどというマインドも、少しもない。工場というのは質実剛健だ。生産現場だから、コストをとても重視する。女性のおしゃれ感覚とは、程遠い世界だ。どんな新しい物を作っている工場も、昔のままの外観だ。まるで昭和時代の遺物のようだ。実は日本の工場は、社会主義である。従業員たちは皆、労働組合に所属して、春闘で労働者の権利を勝ち取る。資本主義の社会で、工場の中だけは、マルクス主義の世界観に裏打ちされている。そんな諸々の違和感が、工場萌えの女子たちの心に映(ば)えるのではないだろうか。彼女たちは意識していないかもしれないが、工場に数多(あまた)ある饒舌(じょうぜつ)な夜間照明の向こう側のそんな違和感こそ、彼女たちの工場萌えの核心なのかもしれない。僕はかつて大学を卒業して、工場に配属となった。当時は、工場のそんな違和感に戸惑い、中々馴染むことができなかった。だが、強烈な印象を放ったものには、良きにつけ悪しきにつけ、時を経ると愛着を持つものらしい。今ではそんな工場が好きでたまらない。      了小倉一純