小 倉 一 純 ご紹介


受賞歴

・第 23 回 随筆春秋賞公募 奨励賞

・第 13 回 文芸思潮エッセイ賞 第三次予選通過

・第 24 回 随筆春秋賞公募 奨励賞

・第 14 回 文芸思潮エッセイ賞 第三次予選通過中……


経 歴

・日本大学 農獣医学部 獣医学科 中退

・北海道大学 経済学部 経済学科 卒業

・日鉄日新製鋼 株式会社

・SMC 株式会社

・日本エア・リキード 株式会社

◆西暦 2000 年、厄年の 42 歳で退職



遠 藤 進 之 助 の筆名では小説などを書いています

座右の銘

◆「一鳴驚人」(いちめいきょうじん)

普段は黙々として無名であるが、一度やり出すと人をびっくりさせる素晴らしいことを成す喩え


受賞歴(文学以外)

  • 第2回 カワイ音楽コンクール全国大会 委員長賞(ピアノ)
  • 東京都 緑の週間 作品コンクール入選(ポスター)


もうひとつの筆名

◆「異能只高」(いのうただたか)

 伊能忠敬は、千葉県は佐原(さわら)の豪商だったが商売を息子に譲り、当時は隠居の年齢であった 50 代で江戸へ出て、本格的に天文学を学んだ。その後、長い年月を経て、地球の大きさ、つまりその外周がおよそ4万kmであることをつかんだ。そのときの副産物が世にいう伊能忠敬の日本地図なのである。

 立志した伊能忠敬と同年代の自分は、彼にぜひともあやかりたいと思うようになった。―― かくいう私には発達障害がある。そういう私の人とは違う「異能」をみがき、「只」ひたすらに「高」みを求めていく、そんな覚悟もまたこの筆名には託しているのである。

※ 当初は異脳只高だった

伊能忠敬の日本地図 ― 詳細 ―

◆伊能忠敬は江戸へ出て、幕府直轄の天文方を任されているエリート天文学者、高橋至時(よしとき)に弟子入りを果たす。この時忠敬は 50 歳、至時は 31 歳であった。およそ 20 歳年下の学者に忠敬は師事したのである。

◆伊能忠敬は日本地図をつくりたかったわけではない。彼は純粋に地球の大きさを知りたかっただけである。地球の大きさとはすなわちその外周のことである。

◆ご存じの通り北極星は地球の地軸の真上(真北)にあるのでほとんど動かない。ある地点での地平線と北極星へ向かう直線との間の角度を「北極星の仰角」(ぎょうかく)という。北極星の仰角はその地点の緯度と同じである。北緯でいえば緯度は0度(赤道)から 90(北極)度の範囲となる。

◆だからA地点、B地点それぞれで北極星の仰角を測定して、その角度の違いを 360 度分に引き延ばした場合のA―B間の距離を求めたとき、それが地球の外周となるわけである。直観的にいえばこういうことになる。

◆A地点とB地点は遠く離れているほど地球の外周は正しく測れる。だがこんな理由では幕府は民間人が全国各地を歩くことを許してはくれなかった。そこでその合間に日本地図をつくることとし(本当の理由は内緒にし)、これを諸国漫遊の大義名分として幕府に提出し許可を得たのである。

◆結局、フランスの天文学者がすこし早く地球の外周およそ4万kmという答えを出してしまう。伊能忠敬は自分の答えとそれとを見比べて、自分も正解していたことを知る、というのが真実なのである。それは現在の実際の数値と比較してもかなり正確なものだった。

◆伊能忠敬にとって日本地図は結局副産物だったわけである。しかし蝦夷地(えぞち)の問題や海外列強の脅威から日本を守るうえでこの日本地図は欠かせないと、幕府をはじめ有識者からは非常に高い評価を受けたのである。

◆伊能忠敬が副産物の日本地図で有名になったという顛末(てんまつ)である。

その心は、「異能只高」というのは、単なる語呂合わせで考えた出した筆名ではないということである。


2019.08.10

小倉一純

同人誌 随筆春秋 などのご紹介

同人誌 随筆春秋 は現在3人の先生方からご指導をいただいています。

◆作家 / 直木賞受賞・紫式部文学賞受賞など

 佐藤 愛子先生 …… 代表作品:小説『戦いすんで日が暮れて』『血脈』『晩鐘』など

◆テレビドラマ / 演出家・プロデューサー・映画監督など

   堀川とんこう先生 …… 代表作品:TBSテレビドラマ『岸辺のアルバム』『モモ子シリーズ』『松本清張シリーズ』など

◆脚本家 / 旭日小綬章受章・紫綬褒章受章など

 竹山 洋 先先 …… 代表作品:NHK大河ドラマ『秀吉』『利家とまつ〜加賀百万石物語〜』など 

◆ 小倉 一純 の師匠 ⇒ 近藤健 先生(作家 佐藤愛子先生の愛弟子)

 先年、随筆春秋の近藤健先生は 30 年近く続けた東京生活を仕舞われ、故郷の町のある北海道へ戻られた。大手石油販売会社の本社を離れて、現在はその札幌支店に勤務されている。ご家庭の事情で転勤願いを出していたのだ。近藤健先生は、会社員と文筆家の二足のわらじを履いた、日本一のサラリーマン作家である。

 2017 年、縁あって随筆春秋の同人となることを許された私は、10 編近い作品を札幌の近藤先生に添削していただいた。「よく書けています」と寸評があるものの、原稿をめくるとそこかしこに朱が入れられている。勉強していくうちに赤ペンの箇所はだんだん少なくなっていき、それが私にとって何よりの励みとなったのである。

 先日、近藤健先生よりこのホームページへコメントをいただいた。―― 機が熟し、花開く日を楽しみに待っております(一部を抜粋)…… とつづられていた。感激である。

 その近藤先生が師と仰ぐのが、随筆春秋の大御所でもある 直木賞作家の 佐藤愛子先生 なのだ。

◆近藤健先生 作品集 ⇒ こんけんどうのエッセイ(プロフィールページ)