製鉄所と彼女(工場その2)


製鉄所と彼女(工場その2)


製鉄会社の工場は、感覚的にいえば、松任谷由実の歌とは最もそぐわない世界だった。女の子のキャピキャピした気持を綴った歌詞と、工場の雰囲気は水と油だ。だからこそ休日には、彼女を助手席に乗せ、近くの津久井湖まで車を走らせながら、カーステレオで松任谷由実のカセットを聴く。そんな対極の世界の身を置くことが、最高のうっぷん晴らしだった。 

休日があっという間に過ぎて会社に出勤すると、大型トレーラーが行き交う中、ドブネズミ色の作業服に身を包んだ猛者たちが、ムッツリした顔で闊歩している。建物の出入口からは、大きな騒音が聞こえ、油臭い匂いが漂っている。天候は晴れのはずなのだが、製鉄所の中だけは曇っているような感じがした。 

正門脇の3階建ての事務所の1階にある総務部に顔を出すと、もう半数以上の従業員が席に着いている。所属する経理課の隣りは労務課だ。そこには、片腕を失くした従業員が、中身のない作業服の腕をズボンのポケットに押し込み、左手で煙草を吸っている。彼は、現場で怪我をして事務所に上がっていた。会社では、ブルーカラーが現場から事務所に異動することを、「上がる」と表現した。出世には違いないが、代償が大き過ぎる。 

休日明け、そんな現実がいきなり目に映るのは、正直いってきつい。工場には、厳しい現実が、いつも横たわっていた。単細胞でチャランポランな学生時代を送ってきた僕には、相応しくない空気だった。だが、逃げるわけにもいかない。目の前にあるのは現実だ。 

ホワイトカラーも含め、工場の従業員たちは皆、労働組合に所属していた。係長以上の管理職はもはや組合員ではない。職場ごとにまとまって組合活動をする。春闘の季節ともなれば、昼休みには工場の中ほどにある野球場脇の芝生に腰を降ろし、代議員の話を聞いた。代議員というのは、まだ若い組合員だ。労働組合がどのくらいの権利を勝ち得たか、その戦況報告だった。 

資本主義の世の中にあって、労働組合は、マルクス経済学に裏打ちされた世界観の中にあった。経営者対労働者の構図だった。搾取する側とされる側である。まさに階級闘争の現場だった。普段、大人しい社員が、春闘の季節になると、本社の社長室のデスクを叩き、熱弁を振るう。5月になってメーデーともなると、赤い旗を翻して、大勢で街中を練り歩く。メーデーとは、労働者の祭典だ。 

もううんざりして、また休日を迎えると、彼女とドライブに出かけ、松任谷由実の歌を聴く。 

「中央フリーウェイ~ 夜空に続く♪」

ウィークデーとはまったく違う世界に、僕らは身を委ねる。助手席の彼女は同じ職場の同僚だ。彼女は一体、どんな気持でいるのだろう。 僕はルームミラーを見て、パトカーがいないのを確かめると、おもむろにアクセルを踏み込む。車は、星空に向かって、ぐんぐんとスピードを上げる。

小倉一純


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