兵どもが夢の跡(随想)

「兵どもが夢の跡」(随想)

もう35年も前の話だが、僕が社会人となったころには、日本金属工業、日本ステンレス、日本冶金工業という3社があった。

これらは、電気炉でスクラップを溶かしステンレス鋼を製造する会社だ。売上はそれぞれ1千億円程度だった。いまどきの巨大企業からみれば大した額ではないが、もっと規模の小さな鉄鋼会社も数多くあった。

当時はこれらを「ステンレス専業3社」と呼んでいた。それぞれの労働組合も、常に他の2社の様子を睨んで動いていた。

その3社のうち最初に名前が消えたのは日本ステンレスだった。住友金属工業に合併された。

それからしばらく経って、僕のいた日本金属工業が、日新製鋼と合併した。実質的には吸収合併といっていいかも知れない。日本金属工業の名前は消え、日新製鋼となった。

時を置かずその日新製鋼も、日本製鉄に飲み込まれ、名前を日鉄日新製鋼と変えた。日本製鉄というのは新日本製鐵の新社名だ。

そして本日2020年4月1日、その日鉄日新製鋼も、日本製鉄に合併され解散した。これですべてが、日本製鉄の名のもとに一本化された。

鉄鋼は合併を繰り返しスケールメリットを追求することで、みずからの生き残りを模索しているのだろう。

話は相前後するが、日本のインフラ整備があらかた終わり、鉄鋼は構造不況業種といわれ続けてきた。会社は利益なき繁忙に追われた。注文はあるが取引価格を叩かれ、つくればつくるほど赤字を出した。だが、製造をやめると会社は潰れてしまう。まさに自転車操業だ。これが川上産業の宿命だった。川上産業というのは、完成品メーカーなどの川下産業に対して、原材料メーカーを指していう言葉だ。

製造所で働いていた僕らは、残業代を自主返納してまで頑張っていた。もっとも僕は入社5年で転職してしまったので、大きなことはいえない。だが、そんな思いまでして働いた会社があっさりと消えてしまった。社会人としてのイロハを教えてくれた会社でもあったので、感慨もひとしおだ。

会社って一体何なのだろうか。誰のためのものなのだろうか。苦楽をいっとき共にした思い出だけがひとり歩きをするようになるなんて……。

「夏草や兵どもが夢の跡」という芭蕉の句が脳裏をかすめる。

元ドリフターズの志村けんさんが亡くなってしまった。影の薄いところなんて微塵もなかったのに。

人も会社も、こちらの想いとは関わりなく、サッと姿を消す。

無常である。


小倉一純




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