新説 マッチ売りの少女

ラウラは1941年、プーラの生まれである。貧しい職人だった彼女の父親は6歳になった彼女とその兄ジャンポールを連れて、対岸のイタリア半島の中にポツンとある共和国サンマリノへ移り住んだ。


兄弟の母親は低い身分ながもそれに似つかわしくない美貌の持主で、亭主や子供がいるというのにそれを承知で、地元プーラの豪商が略奪し、自分の屋敷へ連れて行ってしまった。ラウラはその母親に似ていた。


サンマリノに来れば仕事も見つかり暮らしも楽になるはずだったが、酒飲みの父親は何もせず毎日ぶらぶらしていた。兄は、子供ながらに鬱病を患い、床に臥せる毎日だった。


かつてイギリスでマッチが発明されたが、今はそのマッチを、ラウラが町で売り歩き、一家の家計を支えている。


年の暮も押し詰まった夕刻、マッチを入れた籐籠の持ち手を小さな左手で握りしめ、ラウラはか細い売り声を張り上げる。


「マッチはいらんかねぇー。マッチだよぅ」


1年最後の日だ。その晩はどこの家庭でもご馳走をいただく。赤ワインに浸したドライフルーツをいっぱいに詰め込んだ鶏の丸焼きを頬張るのだ。ここサンマリノは標高が高く、この季節はとても冷たい。だから、その鶏肉にはたっぷりの香辛料が使われる。


油の焦げる匂いと胡椒やガーリックパウダーの香りがないまぜとなって、石畳の通路の山岳の町は幸せ気分でいっぱいになっている。マッチを売る小さなラウラをのぞいては。そして、そんな彼女の様子を、ひとりの男がじっと見つめていた。


ラウラの下瞼には涙が膨れ上がり、やがてそれが頬を伝い、一筋の川ができている。


「こんなとき、おうちにおばあちゃんがいてくれたらなあ」


と彼女は思った。祖母は彼女が5歳のときに亡くなった。料理好きの優しい祖母だった。貧しいながらも限られた材料で精一杯の食事をこしらえてくれた。彼女にはそれがご馳走だった。空腹と寒さを堪えながら、彼女はそんな祖母のことを思い出していた。


マッチを1本擦ってみる。燐の燃えるポッという音とともに橙色の火が点る。石畳の道も家の石壁も彼女の頬も赤く染まる。その灯りと闇との境目に祖母の優しい笑顔が浮かんだ。


「ラウラやっ、きっといいことがあるからね」

「おばあちゃん、いいことって」


火が消えたら、祖母の顔も消えていた。


「おい、そこのきみ」

「ええ、ワタシ?」

「一緒にローマへ来ないか!」


15年後、ラウラはイタリアの、いや世界中の男子が憧れる、銀幕の大スターになっていた。


小倉一純


イタリアの女優 ラウラ・アントネッリ



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