会社消滅


「会社消滅」


本日、3月31日をもって、僕が社会人となって最初に勤務した会社がこの世から姿を消します。わずか5年の在籍でしたが、僕が初めて社会の風を受けたのが、この会社でした。 

図らずも経理課―ビジョンのない僕には特に希望などなかったのですが―に配属となり、僕はとてもショックを受けたことがあります。それは、自分がまったく仕事ができなかったことです。 

経理課では、高校を卒業して経理の専門学校に1年通った女子社員の方が余程、役に立っていました。当時、銀行でもこんな笑い話がありました。ある大卒が、

 「すみません。この帳面に借方、貸方というのがあるんですけど、どこから借りて、どこに貸した、という意味なんでしょうか」

 (周囲唖然)

 僕は原価計算係でしたので、借方貸方は分からなくても仕事はできましたが、まあ似たようなことでした。 

その後、僕は、事務処理ということと真剣に取り組み、役に立たない大卒と言われないように、技能向上に心血を注ぎました。今もそのことを肝に銘じています。 

元来、大雑把でズボラな僕ですが、この会社でショックを受けたお陰で、今では様々な事務処理を上手くこなせるようになりました。そういう意味で、この会社は、僕にとっては、大きなターニングポイントとなりました。 

その会社が結局、日本製鉄という大きな会社に飲み込まれてしまいました。かつての本社も、横浜、川崎、相模原の工場も、もうありません。そして、最後まで稼働していた、知多半島の付け根の臨海工場も、本日をもって稼働停止となります。 

製鉄業は素材産業で、物の流れからいっていわゆる「川上産業」に当たります。1999年に日産の総帥としてカルロス・ゴーンが着任してからは、部品、素材メーカーへの徹底的な値引き要求の煽りで、そのしわ寄せを最も受けたのが、最も川上の素材メーカーでした。 

その「ゴーン・ショック」が、製鉄業界の「業界再編」を促進したと言われています。注文はあるから忙しいが、利益が出ない。それどころかつくればつくるほど赤字が出る。こういうのを「自転車操業」と言います。業界では「利益なき繁忙」と言い、とても苦しんだようです。 

もっとも、僕はそのころはもう他社に移っていましたから、それを直接経験したわけではありません。 

そんな思い出や想いのある会社です。それが、今日でこの世から姿を消すことになりました。残念、の一語に尽きます。 

小倉一純

 2022.03.31 



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