私と身内、今どきの医学部
私が妹のように思っていた従妹、の娘は、茨城県で大きくなった。彼女は県庁所在地の進学校に通っていた。国立の医学部を第1志望にしていたらしい。理屈はよく分からないが、「私は女だから、7浪でも8浪でもするんだ!」と威張っていたようである。結局、今年の春、東京郊外にある私立の医学部の学生となった。
従兄は私のひとつ上で、先の従妹の兄である。子供時代は私と兄弟のように過ごした。今は北海道にいる。その長男だが、先ごろ能登の、国立の医学部を卒業して研修を終え、首都圏の癌専門の病院へ就職をした。
私は30歳の頃、精神的な病になった。医師は病名を告げなかったが、恐らく統合失調症である。自らの希望で2か月ほど入院もした。後年50歳を過ぎて、発達障害も判明する。発達障害が1次障害、統合失調症が2次障害という図式が、私の病態であると分かったのだ。
30歳以降は半健康でありながら、只ひたすらにサラリーマン人生の継続に努めた。今思えば、心のダメージを深堀りしないうちに、思い切ってすべてを清算した方がよかったのかも知れない。だが私はこういう性格だ。自分を完全に壊すまでやらないと、気が済まなかったのである。お陰で今は、何も成し得なかったものの、精一杯やったということだけは確信できる。それは、自分だけを見つめる人生だった。そんな私は、卵も含めると、身内に医者が6人もいることを知らなかった。ずっと親戚とのつき合いも途絶えていたので、その間、彼らの結婚により、あるいは生れた子供が大きくなって、そういうことになっていたのである。右肩下がりの時代である。現時点で優良企業といわれるところへ入っても、一生面倒をみてもらえるとは限らない。優秀な子は、今まで以上に、医者を目指すようになったらしい。
かつては出来の悪い、医者の子弟の受け皿でもあった、新設の、私立の医学部も、今では難易度が上がっている。最低でも早慶へ入るほどの学力を要するそうだ。一方、昨今は受験生全体の数も、かつての半分にまで減少している。そんな中、私立の医学部では、学費を総額で1千万円以上値下げしたところもある。それに、奨学金制度も充実してきて、サラリーマンの子弟でも、今までは無理だった私立の医学部へ進学できるようになってきた。
そんな時代の変化に、私は全く気づいていなかった。身内や知り合いの子弟が、こぞって医学部を目指すという現実を目の当たりにして、私は少々驚いているのである。 了
2019/02/11
正倉一文
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