札幌はどこか物足りない魅力的な街
札幌では大通とかすすきのなどの中心街にいると、雪がなければ、北海道にいることを忘れる。東京と変らないのだ。北の市民となった当初、僕はそこにふるさとである東京を求めた。札幌の中心街は、そんな僕の欲求を満たしてくれた。ただ40年前は、札幌駅前の三越であっても、入口にゴム長靴の老夫婦が立っていたりして、醸されるミスマッチ感は札幌ならではだった。
多くの市民が乗り換えに使うターミナル駅は地下鉄の「大通駅」だけである。東京のように、新宿とか、池袋とか、渋谷とか、東京駅とか、それが幾通りもある、というわけではない。大きな歓楽街といえば「すすきの」の他にはない。ただ、僕がいた40年前は、地下鉄の「北24条」が準・歓楽街だった。住宅街が近く、現在では規制もかかり以前ほどの勢いはなくなっている。東京では、それといえば列挙するのが大変な位だ。この前は新橋で飲んだから、今日は歌舞伎町へ行こう、という選択肢は札幌にはなかった。
自然を求めるようになると、そのとたんに、札幌は魅力的な街として目に映ずる。札幌は市街地をちょっと外れると、見事な大自然である。明治神宮のようにつくった森ではなく、原生林という手つかずの自然があるのだ。札幌の中心街は、東京を凌ぐハイセンスな街なのだが、その範囲は小さい。コンパクトな都会といういい方が合うのかも知れない。自然を楽しみたいけれど、普段は街の利便性を求めたい、という向きにはうってつけの街なのだ。特に子育てには、素晴らしい都市なのではないかと思う。
今書いたのは、東京育ちの僕の目から見た札幌である。しかも40年前の学生時代の経験がベースになっているから大分古い。以降も札幌には何度も行っているが、再び生活者となったことはなかった。
札幌では5年の学生生活を送った。正直にいうと、その間、心の片隅にはいつもホームシックがあった。そんな僕は、最後の最後まで札幌に東京を求めていたのかも知れない。そういう僕からすると、札幌はとても魅力的な街だが、どこか物足りない街でもあったのだ。
つけ加えると――、札幌は、関東以北最大の都市である。否が応でも、その都会性が期待される街なのだ。そんなことも、僕の物足りなさを後押ししていたはずである。 了
2019/02/14
小倉一純
札幌大通り公園、向こうに見えるのはテレビ塔
◆人工衛星から見た場合◆
続・札幌はどこか物足りない魅力的な街
学生時代、私は札幌に5年間暮らした。中心部は東京と変わらない。山や河などの手つかずの自然も、手をのばせば届きそうな所にある、とても魅力的な街なのである。東京などからやって来た転勤族も、機会があればもう1度札幌に住みたいという。子育てには最高だった、という札幌帰りのサラリーマンも多い。
でも私には、札幌はどこか物足りない街だった。東京と比べて規模が小さいから、という単純な理由ではない。ここ数か月間、ことある毎に私は、そのことを思ってきた。とうとう答えらしきものを見つけたので、それを開陳(かいちん)してみようと思う。理解の助けとして、札幌と同じ人口 200万人の名古屋市を引き合いに出している。ご承知おきいただきたい。
北海道の札幌市は人口200万の都市である。一方、愛知県の名古屋市も、札幌と同様じ人口200万の大都市である。都市の広がりを都市圏(東京の場合は首都圏)というのだが、名古屋の都市圏人口は1000万人、対する札幌のそれは 250万人である。どういうことなのか? それは、それぞれの都市圏の、夜間の「人工衛星写真」を見比べれば、理屈抜きに分かるのである。名古屋のそれは、東京の首都圏と同じように、明るい範囲が周囲へずっと広がっている。対する札幌のそれは、市街地をコアとする輝きのみで、山裾(すそ)のような広がりはほとんどない。
札幌でも近年、都市圏構想というものがある。そのひとつとして、以前は札幌の市街地にあった国立の北海道教育大学が、現在は近隣の石狩市の近く、札幌市北区あいの里へ移転している。石狩市というのは、日本海側の、石狩湾に面した地域である。同市は、企業誘致に力を入れている。ネット関連の「さくらインターネット(株)」の事業所なども、すでに稼働を始めている。だが石狩は、いまでも漁師町である。石狩湾を河口とするあの有名な石狩川では、最盛期に比べれば漁獲高は随分減ったものの、いまでも鮭漁が行われている。現実にはまだまだ、都市圏というにはほど遠いイメージなのである。他にも、札幌都市圏を拡大するような近隣自治体は、今のところ見当たらない。
ロンドン、パリ、ニューヨークなどの、世界の大都市を見た場合、その都市圏はどうなっているのだろうか? どの都市も例外なく「札幌型」である。名古屋や東京、大阪のように、郊外へ車で1時間半も走ったところで、極めて明るい夜の市街地に出くわすことは皆無である。世界の大都市と同様、札幌も、都市のすぐ脇に大自然の横たわる素敵な街なのである。見方を変えればそれが、札幌に物足りなさを感じる所以なのでもある。 了
2019/01/12
小倉一純
石狩鍋発祥の地、石狩市の秋の鮭漁
近藤健 先生
先年、随筆春秋の近藤健先生は、30年近い東京生活を仕舞われ、故郷の町のある北海道へ戻られた。大手石油販売会社の本社を離れて、現在はその札幌支店に勤務されている。ご家庭の事情で転勤願いを出していたのだ。近藤健先生は、会社員と文筆家の二足の草鞋を履いた、サラリーマン作家である。
一昨年縁あって、随筆春秋の同人となることを許された私は、10編近い作品を札幌の近藤先生に添削していただいた。「よく書けています!」と寸評があるものの、原稿をめくるとそこかしこに朱が入っている。努力して勉強していくうちに、赤ペンの個所だんだん少なくなっていき、私にとってそれが何よりの励みとなった。
サラリーマンとして、節目節目を東京の街で迎えられた近藤先生は、久しぶりの札幌に、どこか物足りなさを感じられたようである。ご自身のエッセイにそう綴られている。
その近藤先生が師匠と仰ぐのが、同人誌 随筆春秋の大御所でもある、作家の佐藤愛子先生である。
近藤健先生 作品集「Coffee Break 別邸」https://ameblo.jp/j7917400/
2019/02/14
小倉一純
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