朝比奈さん

 野坂昭如邸の隣にある青木君の家へは、2~3度お邪魔したことがある。彼とは高校の同級生であり、当時代々木駅前にあったマンモス予備校の勉強仲間でもあった。彼とは、駅舎の中にある小さな飲屋街でよく飲んだ。あっちゃん、という看板のかかった店がそれである。5人も座れば満席になる、文字通り、あっちゃんという小母さんが経営する小さな焼き鳥屋だった。名物料理は煮込みである。それと焼き鳥。カウンター席から見える、厨房の小さな窓の向こうは線路である。ターミナル駅の新宿も近く軌道の幅は広い。代々木駅の保線区の助役や、近くへ仕事で来たという芸大出の広告プランナーなど、いろいろな人物と酒を酌み交わした。青木君の家は杉並だったので、練馬にあるわが家より近いという飲み助の理由で、幾度か泊めてもらったのである。

 翌日、家の外へ出ると、当然ながら隣の野坂昭如邸も見える。私はそこで、30を少し回ったぐらいの、背広を着たサラリーマンと顔を合わせた。しっかりとして度量の大きい、受験の悩みでも相談したくなるような人物であったように思う。若いけれど頼もしい感じのする偉丈夫である。サラリーマンは隣の野坂邸を尋ねてやって来ていたのである。なぜだか今でも、はっきりと覚えている。

 私がお世話になっている同人の副代表に話を伺うと、野坂昭如と佐藤愛子先生の編集者は同じ人物であり、今は毎日新聞の会長になっている朝比奈豊氏であるという。ということは、まさにこの人物が朝比奈氏であったかも知れない。

 還暦を迎えた私は現在、作家となるべく勉強中である。こんなことだったら、あの時のサラリーマンに、――40年後、私は作家を目指しますので、どうぞよろしくお願いいたします……とでも頼んでおけばよかったと思う。

 後の祭りである。  了


2019/02/18

小倉一純


◆関連作品

野坂昭如と青木君

 都内にある青木君の実家の隣りが、かつての野坂昭如邸だった。夫人の趣味であろうか――、野坂氏には似つかわしくない、オシャレな外観の邸宅である。

 野坂昭如はご存じの通り、直木賞作家だ。受賞作は「火垂るの墓」である。14歳の兄と4歳の妹が、戦前戦後の混乱期を必死で生きようとするが、食べる物もなく、思いかなわず亡くなっていく姿を描いた作品である。直木賞受賞前、文壇には野坂氏を馬鹿にする人もいた。外で飲んでいた野坂氏は、自分の悪口を聞かされて、怒り心頭に発していた。自宅へ帰るなり、酔いの力も借りて、たった一晩で、この作品を書き上げたそうである。心の中で長いこと温めていた題材だったので、野坂氏の頭の中では、すでに作品は出来上がっていたのだろうと思う。早速見せたところ、一読を終えた編集者は、野坂氏の受賞を確信したそうである。私がお世話になっている同人の大御所、佐藤愛子先生の、「戦いすんで日が暮れて」の直木賞受賞のエピソードとも、相通じるところがあるように思う。

 クラスは違うが、青木君とは都立高校の同級生だった。2人とも大学受験に失敗し、代々木駅前の予備校へ通っていた。帰り道2人で飲んでべろべろになり、私は青木君の実家に泊まった。お母さまからは大ひんしゅくを買い、小倉のような酒飲みの友人とは2度とつき合うな、と怒られたそうである。だが彼も酒は嫌いではなかった。若い叔父さんが自宅へ遊びに来た時、彼はビールの大瓶4本をひとりで空け、翌日、いやぁ酔った酔ったと臭い息で予備校に来ていた。胃がシクシクするといい、ライスお替りし放題の、予備校の地下の学生食堂で、知らない奴から皿を借り、シェフに飯を盛ってもらい、塩をぶっかけて喰っていた。これではまるで、腹を減らした旅の渡世人である。面白い奴だなぁ、と思った。

 彼の父親は大手ゼネコンに勤めるサラリーマンだった。ウチの親父はどんなに2日酔いでも、絶対会社へ行く。当時青木君がいっていた。彼はそういう父親の背中を見て育ったのだろう。そんな青木君は、私と同じ2浪の末、横浜の国立大学に進み、システム関連の会社に入った。社会人になってからは会ったことはないが、きっと立派なサラリーマン生活を送ったことだろうと思う。今年、2人とも還暦を迎えた。

 青木君の家は、玄関の三和土(たたき)が大理石張りになっている。さすがはゼネコン勤めの家だけのことはある。泥酔してお宅へ伺った時、私はその大理石をコンコンと指の節で叩き、

「立派な造りですね」

 と連発していたのを覚えている。子供だったが、私は建築に興味があった。

「はいはい、分かった分かった」

 お母さまは呆れ顔だった。

 そんな青木君の実家の右隣りにあったのが、野坂昭如氏の邸宅である。そのお宅は、深紅のレンガが随所にあしらわれた洋風の作りだった。チューリップの似合う雰囲気である。間口は青木君の実家の倍ほどもあった。

「青木、隣の野坂昭如と口利いたことあるのか?」

 私が聞くと、

「おう、1度だけっ」

「なんか、少し変わった人だったけどな……」

 彼がいったのを覚えている。  了


2019/02/05

小倉一純

近藤健 先生  

 先年、随筆春秋の近藤健先生は、30年近い東京生活を仕舞われ、故郷の町のある北海道へ戻られた。大手石油販売会社の本社を離れて、現在はその札幌支店に勤務されている。ご家庭の事情で転勤願いを出していたのだ。近藤健先生は、会社員と文筆家の二足の草鞋を履いた、日本一のサラリーマン作家である。

 一昨年縁あって、随筆春秋の同人となることを許された私は、10編近い作品を、札幌の近藤先生に添削していただいた。「よく書けています!」と寸評があるものの、原稿をめくるとそこかしこに朱が入っている。努力して勉強していくうちに、赤ペンの個所はだんだん少なくなっていき、私にとってそれが何よりの励みとなった。

 先日、近藤健先生よりこのホームページへコメントをいただいた。――機が熟し、花開く日を楽しみに待っております(その一部を抜粋)……と記されていたのである。感動!

 その近藤先生が師と仰ぐのが、随筆春秋の大御所でもある、作家の佐藤愛子先生である。

◆作品集 こんけんどうのエッセイ

(小倉一純)

私の作品集 since2016

第24回 随筆春秋賞公募 奨励賞 第13回 文芸思潮 エッセイ賞 第3次選考通過 第23回 随筆春秋賞公募 奨励賞 作文ist / さくぶニスト 小 倉 一 純

0コメント

  • 1000 / 1000