覚書・札幌生活のいろいろ

◆乗り物

 昨日(2019/02/21)の札幌では、震度5弱の揺れを観測したそうだ。地下鉄や、JRの一部も停まった。厳寒期、帰宅困難となった方々は、さぞかしご苦労をされたと思う。

 さて、JRの場合、札幌周辺は電化されているが、北海道全路線の8割程度に、未だ架線の設備がない。北海道でJRのことを電車というと、内地から来た人間だとすぐに分かってしまう。現在では列車と呼ぶのが普通らしいが、私が学生だった頃は、同年代の道産子はみな、汽車といっていた。ちなみに小樽からはJRで50分である。小樽駅を出るとすぐに銭函(ぜにばこ)駅だ。この辺りの海では、今年はニシンの豊漁も予想されている。文字通り銭函の予感である。そんな函館本線で、学生もサラリーマンも、毎日札幌へ通っている。

 地下鉄は地元でも地下鉄という。コンクリートの道床に案内軌条という1本の突起が設置されている。ちょっとモノレールに似ている。車両はご存知の通りゴムタイヤである。これで道床のコンクリート面を、車と同じように走る。東京の電車より加速がよい。朝夕のラッシュが首都圏ほど深刻ではないので、設定として高い加速度を出しているのかも知れない。ゴムタイヤだと鋼の車輪に較べて接地抵抗も高いので、その影響もあるだろう。ゴムタイヤなのでソフトかと思えば、乗り心地は意外にも飛行機の離陸時に似ていた。想定外のゴツゴツ感があるのである。

 市内を循環しているのは市電だ。地元では、電車といえばこの市電のことを指す。私の頃は、すすきのから先が繋がっておらず、コの字の路線を往復運行していた(平成27年12月よりループ化路線が開業している)。今では、ヨーロッパのトラムのように近未来的な形状の車両も登場している。雪が積もると、車両の前面下部に取り付けた回転式の竹ぼうきで、掃くように除雪する。この「ササラ電車」は、札幌の冬の風物詩となっている。

◆冬

 昨日の札幌市内では、1時間以上の停電もあったようだ。暖房するには電気が必要な場合が多い。暖房の止まってしまったお宅では、防寒対策にはさぞかしご苦労されたであろう。

 私が学生時代の、アパートの部屋では、太いブリキの煙管で外気と繋がる、大きめの石油ストーブを使っていた。その煙突は複雑な構造を持たない只の筒だ。電動ファンで空気を送って火を燃やし、何となく吸気して何となく排気する仕組みとなっていた。自然換気式というらしい。一般の戸建てでは、屋外に例えば200リットルも入る大きな灯油タンクを設置して、細めの、黒い丈夫なゴムホースで、室内のストーブ本体へ随時給油する仕掛けとなっていた。1か月で200リットルを使うことも珍しくないらしい。今は大型の強制吸排気式、いわゆるFF式石油ファンヒーターが、これに置き換わっている。

 札幌では、玄関扉の向こうに、必ずもう1枚ドアがある。いわゆる玄関室になっているのである。窓も2重になっていた。今は複層ガラスも一般的だが、我々の頃は、アルミサッシの内側に木枠のガラス窓、という具合だった。

 札幌のサラリーマンの8割程度は、ボーナスの他に、暖房手当(燃料手当)というのが会社から支給される。現在はひと冬で、10万円前後であるらしい。我々の頃には、数十万円という話も聞いたことがある。

 露天駐車場に停めておいた車は、朝は暖機運転をしないと、道路へ出ることができない。窓が凍って前が見えないからである。尤も手始めに、車に積もった雪の、雪降ろしも必要である。出発の20~30分も前からエンジンをかけることはざらである。今時の車でもやはり、暖機運転は必須であると思う。

 テーブルに置いたまま夜が明けると、牛乳は凍っていた。冬は保温のために冷蔵庫を使うという、発想の転換も必要である。

◆とても印象的だったこと

 夏の北海道はとても朝が早い。深夜2時半を過ぎると、もうそろそろ、外が白んでくるのである。東京育ちの私には、とても印象的だった。同じ日本でもこんなに違うか、と正直思った。定期試験の準備をしていて気がついたのである。

 7月の札幌でも、早朝5時のタクシーに乗ると、実は暖房をしていた。これにも相当驚いた。道内の家庭では、6~7月にコタツを使うことも当たり前なのだとか。

 ここはやはり、東京ではない。  了


2019/02/22

小倉一純

       さあ、雪だ。「ササラ電車」 出動開始 !!  より

    https://dot.asahi.com/tenkijp/suppl/2015112900008.html



近藤健 先生

 先年、随筆春秋の近藤健先生は、30年近い東京生活を仕舞われ、故郷の町のある北海道へ戻られた。大手石油販売会社の本社を離れて、現在はその札幌支店に勤務されている。ご家庭の事情で転勤願いを出していたのだ。近藤健先生は、会社員と文筆家の二足の草鞋を履いた、サラリーマン作家である。
 一昨年縁あって、随筆春秋の同人となることを許された私は、10編近い作品を札幌の近藤先生に添削していただいた。「よく書けています!」と寸評があるものの、原稿をめくるとそこかしこに朱が入っている。努力して勉強していくうちに、赤ペンの個所だんだん少なくなっていき、私にとってそれが何よりの励みとなった。
 昨日、近藤健先生よりこのホームページへコメントをいただいた。――機が熟し、花開く日を楽しみに待っております(一部抜粋)……と記されていたのである。感動!
 その近藤先生が師匠と仰ぐのが、同人誌 随筆春秋の大御所でもある、作家の佐藤愛子先生である。


近藤健先生 作品集「Coffee Break 別邸」https://ameblo.jp/j7917400/


2019/02/23
小倉一純

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