玄さん
僕はいつも余計なことをいって、人に嫌われる。他人の家の事に口を出して、怒られたことなど、数限りなくあるのだ。決して自慢できる事ではない。
宗教信者時代に、O君という仲間がいた。彼は大学を中退していた。お父さんは、自治体の局長である。かなりのお偉いさんだった。お父さんは浮気をしていた。女がいたのだ。お母さんは立派な人だった。美人で気が利き頭がいい。だから浮気をしたのである。彼らはO君の気持を分かっていなかった、と思う。
僕は、O君の家へ泊りに行った。彼を引っぱり出して遊びにも出かけた。「お母さん、金下さい」といってギョッとする彼の母親に金をせびり、出かけたのだ。
帰宅したお父さんに僕はいった。
「O君は、今25歳。彼は25年かかって、こんな風になったんです」
「本当に良くなるには、25年かかったとしても、不思議ではないんですよ!」
「ふざけないで下さい、あんた。それだったら、我々が生きていられないじゃないですか」
「不愉快だ。わしゃ、もう帰る!」
「お父さん、ここはあなたの家ですよ」
こんなことがあったのである。O君は大喜びだった。自分の人生に初めて風穴が空いたような気になったのであろう。僕は「玄さん、玄さん」、といって彼に慕われた。
宗教の本部からは大目玉だった。越権行為も甚だしいというのである。第一僕は教師ではない。だたの出来損ないの信者だったのだ。
そんな僕だったから、30代の宗教信者当時、「玄さん」と呼ばれていたのである。「世直し玄さん」という、偏屈者で正義漢の職人が主人公の漫画があったのだ。それに因んで、宗教の農園の仲間が、僕にこの渾名をつけたのである。
だが、その後はご存知の通り、精神的な病を押して会社員の生活にしがみつく毎日だった。僕は40代に入って、会社員を辞めた。
その頃には僕の中の「玄さん」も、その生命(いのち)を終えていた。 了
2019.03.07
小倉一純
絵 桜井一雄
続・玄さん
玄さんの事をもう少しだけ、書いてみようと思う。玄さんは、そもそもは、岐阜にあるスズメバチ村という標高700メートルの山の農園で暮らしていた。そこは、とある教派神道の運営する、自然農法の実験農場だった。現実には、信者の子弟もいて、弱った魂や体をそこで癒していた。
次期総長と目される人物がいた。その父親は教祖の右腕であった。人物はそういう環境で育った、宗教的エリートである。大学へは行っていない。代わりに、ブラジルの貧民街へ放り込まれた。そこで民を救って来い、とその父親に命じられたのだ。彼はゴキブリだらけの小屋を只で借り、ブラジルでの布教を始めた。成果は上がり、ブラジルでは大成功を収めた。人物は、名古屋の高級住宅街のお屋敷に暮らしていた。先代(教祖の右腕)の遺産である。その先代が私財も投じて、この山奥の実験農場を開いたのだ。そういう関係で、息子である人物も、農場に関わっていたのである。
人物が来訪するという予定が入り、一同は奮起していた。前の晩から、自然農法産のブラジルコーヒーを挽いて冷蔵庫に入れた。季節柄、アイスコーヒーを出す心積もりである。シロップとミルクがない、と農園の事務長が悲鳴を上げるので、玄さんは山を下りて、小さな町まで買い物に出かけた。車で30分はかかる。明けて当日には、いつもより念入りに掃除をした。神道というのは、何よりも綺麗好きである。塵(ちり)ひとつあっても、神の光が当たらない、と考えるのだ。
高級車と思しきエンジン音が聞こえて来た。山道には相応しくない車幅でこちらへ登って来る。農園の学寮の脇へ輸入車は停まった。出迎えの皆が集う中、人物は、左の運転席のドアを開けた。
「おはようございます。ご苦労様でございます」
人物を迎え、歓迎式典が執り行われた。玄さんは早速、冷やしておいたアイスコーヒーを、人物へ給仕した。式典も終わり玄さんは学寮で雑用をしていた。その時、人物が車のところへやって来た。何か私物でも取り出そうとしていたのかも知れない。
玄さんは人物の脇へ足を運ぶとすかさず、
「どうして、こんなに立派な車が必要なのですか?」
と、尋ねてしまった。
「う、うん。これは、自宅脇で経営している幼稚園の持ち物なんだよ。それを借りて来たんだよ」
「だから私の車じゃないんだ」
玄さんは羽交い絞めになっていた。
「玄さん、何て失礼なこと、聞いてるんだ!」
「人物、本当に失礼致しました」
ちょっとした騒ぎになっていたのである。
「彼は、これでも〇〇大を出ていまして……」
「う、うん、そうなのか」
これが玄さんの、今回の、不始末の顛末である。一言申し添えると、「法人車だよ」というのは、富裕層の常套句(じょうとうく)ではある。
玄さんたち山の仲間は、本部の祭典にも出かける。本部は伊豆である。岐阜の山奥から熱川へは、11人乗りのワンボックスカーを、玄さんが運転して行く。その日も朝早く起きて、一向は東名高速を走っていた。車は馬力が弱く、快適とはいえない。起伏のある静岡の牧之原台地の辺りでは、ディーゼル・エンジンはもう青色吐息だった。大きな車内を冷やすエアコンも1台しか付いていない。いまひとつ、効きが悪い。窓を開ければ、猛暑である。やがて伊豆の青い海が見えてきた。山の小道を登り切り、一向はやっと本部へ辿り着くことが出来た。
お玉串(たまぐし)といわれる献金を、神様に差し上げる習慣となっている。玄さんは財布を覗いてみた。5千円札を1枚だけ持っていた。「男はつらいよ」の寅さん並みに貧乏である。千円じゃケチ臭い。だが5千円では全財産を持っていかれてしまう。神様はお優しいはずだ。2千円で勘弁してもらおう。御三方(ごさんぽう)と呼ばれる、白木の、脚付の四角いトレーに5千円札を置いて、献金を受け付けている教師の前へ差し出した。
「すみません! 3千円、お釣りをいただけますか」
玄さんはいった。
「き、君ね、お玉串で、釣りをよこせなんていうのは、初めて聞いたよ!」
「わ、はっ、はっ、はっ」
教師は、険悪な雰囲気になるのを恐れて、笑った。こちらも救われた。3千円も戻って来て、正直な話、有り難かった。これが玄さんの、もうひとつの不始末の顛末である。
玄さんというのは、そういう男だった。 了
2019/03/07
小倉一純
絵 桜井一雄
0コメント