青年時代の悩み

 当時僕は31歳だった。大学の同級生から、結婚式の案内状が来ていた。僕の大学は北海道だった。結婚式の彼は、帯広で式を挙げるらしい。北海道のそれは会費制である。当時は大体1万円が相場だった。偉い人の挨拶もなく立食で、いきなりカラオケで始まるのである。

 僕には悩みがあった。後年50歳を過ぎてから判明するのだが、僕には発達障害があったのである。その影響で、僕はひとつのことを考え出すと、ずっとそれに拘ってしまう癖があった。 発達心理学の本を斜め読みしてみると、39歳までは青年期という括りに入ることもある、と書かれている。 僕は、その時、自分が差し詰め、その青年期の悩みでも抱えているような気分になっていた。どうにも頭を離れない事があったのである。

 首都圏に暮らす僕は、札幌までは飛行機を使った。そこから帯広までは、列車である。北海道では電車とはいわない。ほとんどの区間が、まだ電化されていなかったからである。当時、帯広までは、特急でも3時間以上はかかったと思う。僕は缶ビールを買って、ぼんやりと広い北海道の大地を眺めていた。

 法学部だった彼は、北海道の農協の親玉のような組織に就職していた。花嫁になる女性は、職場の年上の同僚である。彼女の兄も結婚式に来ていて、話を聞くと、彼は、女性の家族に、すっかり取り込まれるようにして、結婚を決めたらしい。彼が、優良物件と思われたということである。普通は女性に対して使う言葉なのだが、望まれて結婚するのだから、彼は幸せなのだろう、とその時、僕は思った。

 結婚式が終わり、初秋の帯広の街に僕らはいた。北海道だけあって、この季節なのに、夜の空気の冷たさは、もう肌を刺すようである。風向きによっては、時折、牧場の牛舎のような匂いもする。ああ、ここはやっぱり北海道なのだ。

 彼が、なかなか立派なエントランスの、スナックへ案内してくれた。僕と彼と、もうひとり函館出身の同級生の3人で、スナックの立派なソファーに腰をおろした。3人は学生時代の下宿が近く、よく一緒にいたのである。

 僕は悩んでいたので口が重かった。適当に愛想笑いをし、思い出話につき合っていた。いや楽しかったのである。離れ離れになった3人が、こうして一同に会する機会がまたあろうとは思ってもいなかったからだ。結婚した彼は、帯広近くの足寄(あしょろ)という町の出身である。あの有名な歌手、松山千春と同郷なのだ。高校の頃までは、足寄の町には信号機が1個所しかなかった、といって彼はいつも自慢していた。

 淡いピンクのレースのドレスを着こなしたポチャッとした彼女と、赤いシックなドレスを着た、少しシャープな感じの女性の2人が、僕らのテーブルについた。北海道の女性らしく、フレンドリーである。

「そこの彼さー、さっきから何考えてるの?」

「……」

「お酒、ウイスキーでいいでしょ、氷足しとくね!」

「いやさー、オレ、宮沢りえと後藤久美子のどっちが可愛いか、最近考えているんだ」

……

 間をおいて、一同大爆笑となった。それからは話が盛り上がり、彼女たちは上手に僕から話を引き出してくれた。

「うんうんそれで?」

 赤いドレスのシャープな女性が、悪戯っぽい目つきで僕にいった。

「だからね、○×▽◇?▼……」

 少し酔った僕は要領を得ない答えをした。

「だからさー、結局、お前は、宮沢りえはすごくかわいいと思うけど、個人的には、美人の後藤久美子が好きだ、ということなんじゃない」

 ということで、結局、話の決着がついた。

 翌日、ホテルのフロントで3人が顔を合わすと、昨日のスナックは面白かった、という話でまた盛り上がった。当時、僕だけがまだ独身であった。恥ずかしい話であるが、還暦となる今も、いまだに独り身を貫いている。

 そんな僕の青年時代の、帯広の夜の思い出話である。  了


2019/03/18

小倉一純


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