賊軍なのか官軍なのか

 1981年(昭56)年、日比谷の電々公社本社ビルに、真藤恒(しんどうひさし)がいた。日本電信電話公社の民営化を見据え、最後の総裁としてやって来たのである。1985年(昭60)、真藤は民営化されたNTTの初代社長となる。

 その真藤が、父たち現場の長を集め、壇上で言った。当時、父は都内の大規模電話局の局長であった。

「えー、私が、電々公社の総裁を務めることとなりました、真藤です」

「今日からは、現場の、お前らのことも含めて……」

 と挨拶が始まった。

 父をはじめ、生え抜きの電々公社職員は、この時皆、怒っていた。自分たちを、総裁とはいえよそ者の真藤に、「お前ら」呼ばわりされたからである。それから真藤は、父たちの間では、賊軍からやって来た悪者とされた。

 真藤は九州帝国大学で造船を学び、石川島播磨重工の社長にまでなった人物である。二流だった同社を、造船部門において、名門・三菱重工業を追い抜くまでに育て上げた。折しも造船不況の嵐の中、合理化による大量の首切りの責任をとって同社を退職し、会長の座も辞退していた。

 実は真藤は、戦艦大和を建造した、海軍切っての天才技術者・西島亮二の教えを受けている。西島はドイツで造船技術を学んだ、技術将校である。海軍省の上層部に命じられ、4年と数か月で、あの戦艦大和を完成させている。当時艦船は、底部から上へ組み上げていく工法をとっていたが、西島は工期短縮のために、ブロックごとに分けて船体を造る工法を、日本で初めて採用した。

 戦後、世界は原油の大量輸送が必須の時代となっていた。石川島播磨の若手技術者だった真藤は、アメリカの海運王の依頼を受け、西島直伝のブロック工法も駆使して、呉市の造船所で、僅か9か月の短期間で、3800トンのタンカーを造り上げた。かつてない巨大船である。船はペトロクレと命名された。ちなみにペトロとは石油、クレとは呉のことである。その後、彼は、数々の合理化案を現実のものとして、同社を発展させている。

 そんな真藤が役職にもつかずぶらぶらしていたところへ、白羽の矢が立った。民間人として政府の要職を務めていた土光敏夫が、電々公社の民営化の旗手として、真藤を抜擢したのである。土光は、石川島播磨では真藤の先輩に当たり、同社の社長も務めていた。

 真藤が電々公社へ乗り込んで来たことで、次期総裁と目されていた北原安定は、最後まで副総裁の地位に甘んじることとなった。世間では、真藤と北原は、犬猿の仲といわれた。北原は、電々公社切っての論客で、切れ者としてその名を馳せていたのである。

 そんな真藤は、新生NTTの初代社長となり、数々の合理化を成し遂げ、電々公社を民営化へと導いた。父たち生え抜きは、当然のことながら北原びいきであった。真藤は、リクルートへ便宜を図った見返りに、リクルートコスモスの未公開株の譲渡を受けたことが発覚して、1988年(昭63)NTT会長を辞任し、後に逮捕もされている。          

◆◆◆◆◆ 

 2014年(平26)に、NHKの朝の連続テレビ小説で、「花子とアン」が放送された。その中で、石炭王・嘉納伝助の役を、俳優の吉田鋼太郎が好演した。実在の筑豊の実業家、炭鉱主の伊藤伝右衛門をモチーフとした役どころである。 そこで私は、筑豊の男が、部下や目下の者に向かって、「お前ら」という時には、それは、男気であり、愛情であること知った。 

 真藤も筑豊の出身である。初対面の父たちには、その真藤氏の愛情表現は、残念ながら裏目に出てしまったのである。一度賊軍と目されると、する事なす事そういう目で見られてしまうのは、この世の常である。

 真藤氏は、この後は、その罪を一切弁明せず、「清廉な土光さんが生きていたらオレは破門だな」と悔やんでいたらしい。公職や経営の一線からは身を引き、奥様の話によると、一個の老人として、生涯を終えたのでそうである。

 真藤氏を賊軍から来た悪者と決めつけることは、私には、できなくなってしまった。


2019/03/22

小倉一純  


近藤健 先生  

 先年、随筆春秋の近藤健先生は、30年近い東京生活を仕舞われ、故郷の町のある北海道へ戻られた。大手石油販売会社の本社を離れて、現在はその札幌支店に勤務されている。ご家庭の事情で転勤願いを出していたのだ。近藤健先生は、会社員と文筆家の二足の草鞋を履いた、日本一のサラリーマン作家である。

 一昨年縁あって、随筆春秋の同人となることを許された私は、10編近い作品を、札幌の近藤先生に添削していただいた。「よく書けています!」と寸評があるものの、原稿をめくるとそこかしこに朱が入っている。努力して勉強していくうちに、赤ペンの個所はだんだん少なくなっていき、私にとってそれが何よりの励みとなった。

 先日、近藤健先生よりこのホームページへコメントをいただいた。――機が熟し、花開く日を楽しみに待っております(その一部を抜粋)……と記されていたのである。感動!

 その近藤先生が師と仰ぐのが、随筆春秋の大御所でもある、作家の佐藤愛子先生である。

◆作品集 こんけんどうのエッセイ

(小倉一純)

私の作品集 since2016

第24回 随筆春秋賞公募 奨励賞 第13回 文芸思潮 エッセイ賞 第3次選考通過 第23回 随筆春秋賞公募 奨励賞 作文ist / さくぶニスト 小 倉 一 純

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