犬走りを行く

 私は、還暦を目の前に、文筆業を志した男である。

 40代で会社を早期退職し、現在に至る。30歳頃、統失と思われる症状が発症した。努力の甲斐あり小康状態を得たものの、それ以降は、精神的な不調との闘いであった。履歴書を埋めるキャリアは、文字としては存在するものの、心象としての私の経歴は、無職透明なのである。

 物書きの真似事をして気づいたことがある。上っ面の思いつきを書いては、誰の心をも打たない。己の心をぐうっと開いて、そこに見える本当の事を書かなければならないのだ。思った以上に疲れる作業である。

 中学生の頃、作家と呼ばれる職業に憧れた。――身を削って書いている……と、有名な小説家がいっていた。私もそのことを、身を以って体験するはめとなったのである。

 教養とか才能とか閃(ひらめ)きとか、一番問われるのはそういうことかと思っていた。文筆業というのは肉体労働そのものである。必要なのは、体力なのだ。

 机に向かう生活を始めて、その限界を感じるようになった。私は衰えた肉体の力を取り戻さなければならない。

 私は統失である。これは2次障害で、1次障害として発達障害をもっている。50歳を過ぎてそのことが分かった。私は、外界からの刺激に過敏だ。人目のあるスポーツクラブなどへは行けない。踏み台昇降も、通信販売のエアロバイクも試してみた。どれも3日坊主である。

 最近DIYで整理した、わが家の庭を歩くことにした。断っておくが大豪邸などではない。道路に面した西側は、家屋が際(きわ)まで迫り、犬一匹が走る程度の幅しかない。そこには、防犯のため、砂利が敷いてある。日本の城郭では、文字通り、こんな小道のことを、犬走り(いぬばしり)というらしい。

 私は、春の、花冷えの早朝に、ザクザクと小石を踏む音を立てながら、この道を早歩きで行くのである。南側の猫の額ほどの庭へ出ると、小さな梅の木が、紅や白の小さな花を、満開に咲かせている。

 文学の夜明けへ向かって、今日も私は、犬走りを行く。  了


2019/03/28

小倉一純

近藤健 先生  

 先年、随筆春秋の近藤健先生は、30年近い東京生活を仕舞われ、故郷の町のある北海道へ戻られた。大手石油販売会社の本社を離れて、現在はその札幌支店に勤務されている。ご家庭の事情で転勤願いを出していたのだ。近藤健先生は、会社員と文筆家の二足の草鞋を履いた、日本一のサラリーマン作家である。

 一昨年縁あって、随筆春秋の同人となることを許された私は、10編近い作品を、札幌の近藤先生に添削していただいた。「よく書けています!」と寸評があるものの、原稿をめくるとそこかしこに朱が入っている。努力して勉強していくうちに、赤ペンの個所はだんだん少なくなっていき、私にとってそれが何よりの励みとなった。

 先日、近藤健先生よりこのホームページへコメントをいただいた。――機が熟し、花開く日を楽しみに待っております(その一部を抜粋)……と記されていたのである。感動!

 その近藤先生が師と仰ぐのが、随筆春秋の大御所でもある、作家の佐藤愛子先生である。

◆作品集 こんけんどうのエッセイ

(小倉一純)

私の作品集 since2016

第24回 随筆春秋賞公募 奨励賞 第13回 文芸思潮 エッセイ賞 第3次選考通過 第23回 随筆春秋賞公募 奨励賞 作文ist / さくぶニスト 小 倉 一 純

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