箱根の愚行
高齢の両親を連れて箱根に行った。1泊旅行である。途中、国道1号線の塔ノ沢あたりの、早川の流れが目にも涼しい。新緑の枝が澄んだ川面に迫っている。私は、ここの景色がとても好きである。
宿は、知り合いに紹介してもらった企業の保養所だ。最上階の和洋折衷の部屋に案内された。バルコニーには、丸い陶器の露天風呂がある。向こう側の山の中腹には、個人の別荘が建ち並んでいる。保養所は、小高い山の中腹にあった。山側にある廊下の、腰高の窓のすぐ下が獣道になっている。猪や狸が通るらしい。危険だから、深夜の時間帯はこの裏山へ出ないで欲しい、と支配人が言う。
夕食は1階の食事処だ。時計を見るとまだ3時過ぎである。夜になるとベッドに変身するソファーに、所在投なげに、私は腰を下ろした。両親には目の前に、シングルベッドが2つ用意されている。ふとその横の柱に目を遣ると、非常用の懐中電灯が備えつけてある。それを抜いて、点灯させてみた。薄暗い。これではいざという時に危険だと思い、私はフロントを呼んで、電池を交換してもらった。
背もたれの立ち上がった所、つまり座面との境界線のあたりだが、何とはなしに指を突っ込んでみると、何やら食べかすがたくさん詰まっている。これは不潔だと思った私は、バケツに露天風呂の湯を入れ、入浴用のタオルを浸してよく絞り、掃除を始めた。夜、このソファーベッドを使うのは、私である。
それが済み、やれやれ食前のビールでも飲んでおこうかと立ち上がった時、今度はそのソファーベッドの下の狭い隙間に目が行くと、そこは埃だらけだった。居ても立ってもいられなくなった私は、重たいそれを絨毯の上でスライドさせ移動した。掃除機など置いていないので、先ほどのタオルで、カーペットの埃をひと通りきれいにしてやった。ここまでやったらついでなので、薄汚れていた小型冷蔵庫の内部も、しっかりと拭き上げた。
食事の後は、部屋のテレビを点けて、土産に買った菓子を食べながら、両親は話をしていた。呑ん兵衛の私はそれを横目に、冷蔵庫から日本酒を出そうかビールを出そうかと迷っていると、ふと両親の視線の先に目が行く。するとそこにある液晶テレビの画面が曇っているではないか。私は、乾かしておいた先程のタオルをもう1度濡らし、よく絞って、その画面を拭いてやった。すると、見違えるようにきれいになった。私はそれが自分のことのように嬉しかった。
翌日は快晴である。真っ青な大気の向こう側に、富士山がその雄姿を見せている。後部座席に両親を乗せ、運転席に座った私は、違和感を覚えた。腰が痛いのだ。そういえば私は、暇さえあれば、掃除ばかりしていたような気がする。私は一体何をしに箱根に来たのだろうか。
「宿賃を払うより、アルバイト料をもらいたかったよ」
両親に冗談を言いながら、ハンドルを握り徐行する私の目の前を、尻を真っ赤にしたニホンザルの親子が横切って行った。
了
2019/04/12
小倉一純
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