出鱈目な独り言

 車が濡れていた。昨夜から雨が降っていたのだ。西を見ると、富士山が朝日に輝き、その前をボーイング747が飛んで行く。多摩丘陵のこちらはまだ薄曇りだが、やがて西の空から晴れて来るのであろう。朝焼けの中の航空機、背景には富士山、なかなか絵になるのである。

 そうだ、朝の内に、濡れたボディを拭いておこう。我家の西側の細い通路、通称・犬走りを歩き終わった私は(私の朝の運動)、庭にある道具箱を開けた。中には、洗車用品一式が入っている。吸水タオルを手に取った。濡れている……。昨日、物干しに洗濯バサミで留めておいたのだが、家族の誰かが、乾かぬ内に、この道具箱へ仕舞ってしまったのだろう。プラスチック製の、ベンチにもなるボックスである。濡れた物を仕舞い込むと、中で水分が蒸発し、箱の中すべてが臭くなってしまう。これから夏が来れば、なお更である。こんなことをする家族に、私はよくいう。なぜか少々、東北訛ではあるが。

「だらすがないなあ~」

「ダラスがなかったら、ケネディは、死ななかったんだよ!」

 家族がいい返す。

「ダラスって、何よッ」

「米大統領のケネディが亡くなった、アメリカの町さ」

「どういうことなの」

「遊説中のケネディが、銃で狙撃されたんだよ」

「その時彼は、奥さんとオープンカーの後部座席に乗っていたんだ」

 ケネディは亡くなり、妻のジャクリーン・ケネディは、有名な雑誌社の編集者となり、実力を発揮する。やがて彼女はオナシスと知り合い、結婚した。彼は、ギリシャの海運王である。

 ところで、アメリカの石油王といえば、ロックフェラーである。亡くなる時に、彼はいった。

「さらば天国で会おう」

 傍に控えていた、自動車王で友人のフォードは、

「あなたが天国に行けるなら……」

 と返した。生前、世の中からあれほど金を集めた彼が、天国などへ行けるはずがない、ということなのである。時をほぼ同じくして、マクロ経済学のケインズも、その晩年近くに、

「私がつくった資本主義は間違いだった」

 と後悔したという。ケインズは、人間を買いかぶり過ぎていたのである。人間は、彼が思った以上に、目先のことしか考えない動物だったのだ。日本でいうところの、終戦前の話である。

 私は、40年前に大学で経済学を学んだ。その時にも、ケインズと同じイギリスで、道徳資本主義という学問が起こったのを、本で読んだ。人々に道徳観念を持たせることで、そんな資本主義の欠陥を補おうとしたのだ。だがそれもついぞ、陽の目を見ることはなかった。結局、今の資本主義は、そんな、とき折々の反省には蓋をして、ここまで突っ走ってきてしまったのである。

 こんな時、世の中を変えるのは、理論ではない。数理的な理論だけでは、世の中を根本的に変えることはできない。哲学、文学、芸術、そいういったものにより、今の世の中の価値観を是正し、より良い世界の基礎をつくるのだ。

 そんな時勢に、日本では安倍首相が、大学の理科系偏重の政策を打ち出しております。まったくなんと見当違いな、嘆かわしいことでありましょうか! おっとここで、お時間がやって参りました。本日の独り言は、この辺に致しとうございます。私の車の拭き掃除が、ちょうど終わったのである。

 発達障害と統合失調症を持つ私は、外へ出ると、独り言が止まらない。なかなかに迷惑なこともいうのである。そんな独り言を、力でねじ伏せようとすると、猛烈にストレスがたまる。コンピューターのハードディスクを思い出してもらいたい。あれも、本当にはデータを消去することはできない。データとそれに紐(ひも)づく番地の連鎖を断ち切り、データにアクセスできないようにするだけだ。それがいわゆる、ハードディスクのデータ消去なのだ。だから、ハードディスクを処分する時、第3者へのデータ流出を完全に防ぐには、出鱈目なデータを、その上に重ね書きするのだ。そのことにヒントを得た私は、屋外で仕事をする時には、いつも出鱈目をいいながら、体を動かしている。

 今日もまた私は、世間様に出鱈目を吹聴しながら、拙宅の野暮用をこなしているのである、汗。  了


2019/04/15

小倉一純

近藤健 先生  
 先年、随筆春秋の近藤健先生は、30年近い東京生活を仕舞われ、故郷の町のある北海道へ戻られた。大手石油販売会社の本社を離れて、現在はその札幌支店に勤務されている。ご家庭の事情で転勤願いを出していたのだ。近藤健先生は、会社員と文筆家の二足の草鞋を履いた、日本一のサラリーマン作家である。
 一昨年縁あって、随筆春秋の同人となることを許された私は、10編近い作品を、札幌の近藤先生に添削していただいた。「よく書けています!」と寸評があるものの、原稿をめくるとそこかしこに朱が入っている。努力して勉強していくうちに、赤ペンの個所はだんだん少なくなっていき、私にとってそれが何よりの励みとなった。
 先日、近藤健先生よりこのホームページへコメントをいただいた。――機が熟し、花開く日を楽しみに待っております(その一部を抜粋)……と記されていたのである。感動!
 その近藤先生が師と仰ぐのが、随筆春秋の大御所でもある、作家の佐藤愛子先生である。
◆近藤健先生 作品集「Coffee Break 別邸」
https://ameblo.jp/j7917400/



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