犬走りの立て看板

 京都へ修学旅行に行った時、「哲学の道」というのを歩いたことがある。京都大学に隣接する吉田山と、東山の銀閣寺との間にある、琵琶湖疎水に沿った小径である。京都大学で 20年近く教鞭をとった哲学者・西田幾太郎が、思索に耽りながら歩いたところなのだ。桜の季節ともなると、大勢の観光客が列をなして歩く。その所々に茶店(ちゃみせ)が店を開き、軒先には赤い毛氈(もうせん)の縁台などが置かれている。

 道の中ほどに、西田の詠んだ歌の石碑がある。

「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」

 かくいう私も、下手な文学の着想を目論んで、粗末な邸内の小さな通路を歩いている。住宅街の道路際まで家屋がせまり、そこがちょっとした小道となっているのだ。私は砂利を敷いたそこを、早足で通り過ぎる。猫の額ほどの庭へ出ると、植木をかいくぐり、またその小道へ戻る。そんなことをしながら、私は毎朝、思案を巡らせているのである。

 城郭建築ではこういう通路を「犬走り」、というらしい。たわけの私が、仮に有名にでもなったら、ここへ、「小倉の犬走り」などと銘打った立て看板でもできるのだろうか。

 そんな愚にもつかぬことを思いつつ、今日もまた楽しい。  了


2019/04/19

小倉一純

お掘と城壁の裾との間にある小道が「犬走り」


近藤健 先生
 先年、随筆春秋の近藤健先生は、30年近い東京生活を仕舞われ、故郷の町のある北海道へ戻られた。大手石油販売会社の本社を離れて、現在はその札幌支店に勤務されている。ご家庭の事情で転勤願いを出していたのだ。近藤健先生は、会社員と文筆家の二足の草鞋を履いた、日本一のサラリーマン作家である。
 一昨年縁あって、随筆春秋の同人となることを許された私は、10編近い作品を、札幌の近藤先生に添削していただいた。「よく書けています!」と寸評があるものの、原稿をめくるとそこかしこに朱が入っている。努力して勉強していくうちに、赤ペンの個所はだんだん少なくなっていき、私にとってそれが何よりの励みとなった。
 先日、近藤健先生よりこのホームページへコメントをいただいた。――機が熟し、花開く日を楽しみに待っております(その一部を抜粋)……と記されていたのである。感動!
 その近藤先生が師と仰ぐのが、随筆春秋の大御所でもある、作家の佐藤愛子先生である。
◆近藤健先生 作品集「Coffee Break 別邸」https://ameblo.jp/j7917400/
小倉一純




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