織田信長は天下統一を目論んではいなかった

 NHKの「歴史秘話ヒストリア」― 信長像への疑問 ―という歴史番組を見た。

 織田信長に関する資料というのは、実は比較的少ない。見つかった書簡の数では、徳川家康が約8000通、豊臣秀吉が4000通、織田信長が1500通となっている。そんな中でも最近、既存概念に捉われず、本人に直接関わる資料だけで信長を捉え直そうとする、意欲的な試みが行われている。

 そこで織田信長は、どうも天下統一を目論んではいなかった、という結論が見えてきた。

 まず「天下布武(ふぶ)」という信長の言葉だが、「武力による天下統一」を意味しないという説が有力になっている。室町幕府の最後の将軍・足利義昭へ送った書簡で、信長は天下布武の落款を押印している。その文面は、義昭への忠誠を尽くす内容となっている。そこへ「武力で天下を取ります」では、いかにも辻褄が合わない。

 また、宣教師のルイス・フロイスの書簡には、「五畿内の領主が、天下の領主と呼ばれる」と書かれている。つまり当時の「天下」とは、京を中心とする「五畿内」を意味する言葉だったと考えられる。京都を中核とする空間を天下と呼んだのである。

 これらのことから天下布武とは、将軍が安んじて京に御座(おわ)すことができる様に、(信長が)支えるということだ。信長のスローガンのひとつともいえる。信長は他に、「天下静謐(せいひつ)」という言葉も使っている。将軍の御座す五畿内が安泰、という意味である。

 結局、信長の目指すところは、全国統一ではなく、戦乱で荒れ果てた室町幕府の再興だったのである。

 比叡山延暦寺の焼き討ちだが、将軍に歯向かった浅井、朝倉が逃げ込んだために、信長は天下静謐の旗印のもと、そうした行動に出たのである。何通も書簡を送り丸1年の間待ち続けたが、延暦寺からは何の返答もなかった。そこで信長は止む無く、焼き討ちという手段に打って出たのだ。当時の人々はこれを強く批判し、その結果後世に、「信長は残忍な人物」という固定観念ができ上がってしまったのである。

 一方、義昭であるが、次第に将軍には相応しくない所業が目立つようになる。寺社の土地を勝手に自分のものとして家来に与えたり、むやみに金品を要求するなどの行為である。生真面目な信長は義昭に、これを厳しく禁じた。そのことで義昭は、信長を疎んじるようになる。信長にとっては、天下静謐がまずあり、そこへ将軍が御座し、それを自分が支えるという構図が、まず基本にあった。それを乱すのであれば、相手が将軍であっても態度を変えなかったのである。結局、信長は義昭を討つが、命までは奪わなかった。只追放したのである。240年続いた室町幕府が、事実上ここでピリオドを打つ。

 天下静謐の拠り所を失った信長は、それを朝廷に求めた。財政的に苦しい朝廷を支えながらも、信長は、天下つまり京都周辺の敵対勢力と戦い続け、さらに7年をかけて30近い国を支配下に治めた。ついに信長は、戦国の覇者となったのである。

 死の1年前、信長は四国攻めを決めた。土佐の長曾我部元親を討とうとしたのである。元親が天下静謐の妨げになったという事実は、全く出てこない。信長の行動は不可解といわざるを得ない。5年前(2019年当時)、岡山の林原美術館で、信長の四国攻めを巡る書簡が発見された。家臣である明智光秀が、元親に出したものである。その中で光秀は、元親を懸命になだめようとしている。信長から元親との仲介役を任されていたのである。

 それまで信長を支えてきた光秀だったが、天下静謐と矛盾する行動を、当の主君から強いられた時、彼は一体何を思ったのだろうか。  了


2019/04/20

小倉一純

★上の文章は、NHKの歴史番組の内容をまとめたものです。

「歴史秘話ヒストリア」― 信長像への疑問 ―

世にもマジメな魔王織田信長 最新研究が語る英雄の実像

NHK総合 放送:平成31年4月3日(水)(アナウンサー / 渡邊佐和子)


近藤健 先生
 先年、随筆春秋の近藤健先生は、30年近い東京生活を仕舞われ、故郷の町のある北海道へ戻られた。大手石油販売会社の本社を離れて、現在はその札幌支店に勤務されている。ご家庭の事情で転勤願いを出していたのだ。近藤健先生は、会社員と文筆家の二足の草鞋を履いた、日本一のサラリーマン作家である。
 一昨年縁あって、随筆春秋の同人となることを許された私は、10編近い作品を、札幌の近藤先生に添削していただいた。「よく書けています!」と寸評があるものの、原稿をめくるとそこかしこに朱が入っている。努力して勉強していくうちに、赤ペンの個所はだんだん少なくなっていき、私にとってそれが何よりの励みとなった。
 先日、近藤健先生よりこのホームページへコメントをいただいた。――機が熟し、花開く日を楽しみに待っております(その一部を抜粋)……と記されていたのである。感動!
 その近藤先生が師と仰ぐのが、随筆春秋の大御所でもある、作家の佐藤愛子先生である。
◆近藤健先生 作品集「Coffee Break 別邸」https://ameblo.jp/j7917400/
小倉一純



0コメント

  • 1000 / 1000