半面教師の朝

朝起きると調子づいて大きな声で両親に話をする。大きな声はとくに耳の遠い父のためだ。話をするのは、自分自身の欲求不満の解消と、両親のボケ防止のためである。


その日はまず山岡鉄舟の話から始めた。昭和よりもっとむかしの江戸時代の人物である。西郷隆盛が勝海舟と話し合って幕末の江戸城は無血開城となったが、勝の配下としてそのお膳立てをしたのがこの山岡鉄舟である。身長が190 センチもある巨漢だ。官軍の駐留する駿府(静岡市)へ単身赴き、西郷と面会し見事な交渉をした。 彼の働きがなかったら、無血開城はなかったかもしれない。


彼は、剣と筆の達人で、「程 人間万事この一字にあり」 の書がとくに有名である。人生において程(ほど)ということさえ守っていれば、決して大きく失敗することはない、という意味である。


そこで私が両親に言った。


「お父さん、お母さんっ、僕は病気もあったけど、人生で失敗したのは、そればかりが原因ではないよね」

「……」

「僕の場合はさ、何事においても程を通り越し、極端なことをして、次から次へと失敗を重ねてきたんだ」

「うんうん」

「だから僕ほど、山岡鉄舟の正しさを証明している人間はいないんだよ」

「あっはっはっはっはっ」


こんな調子である。


一方、勝海舟であるが、明治時代に入ると隠居して、徳川家康ゆかりの地である静岡県で老後を送った。海舟の部下たちの中には、仕事を失い飯が食えずに苦しんでいる者もいた。困った彼らが勝を訪ねると、勝は世間話をしながら巻紙を広げて書を一筆したためる。書きながら彼はかつての部下の話を聞き、これからも頑張るよう叱咤激励する。


当時は有名人の書いた書が飛ぶように売れる時代だったそうで、勝の書をもらった元部下は、それをしかるべく所へ売却して、金を得る。


そうやって手を働かせながら口も動かしていたので、それが勝の長寿の秘訣だった、というのがこの話の落ちである。その場合、右脳と左脳を同時に使うのだが、これが長生きのための健康法だ。歴史番組の受け売りだが、両親は喜んで聞いてくれた。


わが家では毎朝、朝食のたびにこんなことをやっている。お陰で私の喉は枯れ気味だ。


2019.08.28

小倉一純


徳川家康が晩年を過ごした静岡市の駿府城


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