毒盛り

 これはエッセイである。つまり現実にあったことなのだ。もう 30 年以上も前のことではあるのだが。――通報はしないでもらいたい。


 雪国の大学を卒業し、実家のある首都圏に戻った僕は、就職試験を受けた入った製鉄会社の製造所にいた。正門わきにある事務所の机で原価計算を担当していたのである。所属は経理課だ。いわゆる文科系の社員である。

 その事務所の裏手には研究部棟があった。50 名ほどの研究部員が、そこで働いている。研究といっても、新しい技術を開発するばかりが仕事ではない。顧客から上がったクレームについて、その原因の究明をすることもまた、彼らの仕事であった。

 その研究部にはいわくつきの人物がいた。小太りの中年男性で、渋見さんという。名古屋工大の出身である。名古屋工大といえば九州工大とも並び、その地方にある旧帝大以上の評価を受けることもある優秀な大学である。渋見さんは理科系であるが、卒業したてのころは何故か営業部に配属となっていた。

 会社は主にステンレス鋼板を製造していた。渋見さんの仕事はそれを売ることである。造船会社、自動車会社、建築関係などが主な販売先である。

 お世辞にも風采が上るとはいえない渋見さんではあったが、営業成績はピカイチだった。営業部の壁には大きな模造紙が貼り出してある。そこに各営業マンの売上高が棒グラフにして書き込まれているのだ。渋見さんの棒グラフだけが、当時話題となっていた超高層ビルのように、ぬきん出てその高さを誇っていた。

 だが渋見さんの栄光は長くは続かなかった。これだけ好成績の渋見さんを抱えた第1営業部だったが、その年の四半期の決算で赤字を出したのである。営業の業務課と経理部が協力してその原因を追究していくと、なんとそれは、新人にしてナンバーワン営業マンの渋見さんだった。

 彼は上司に無断ですべての取引で大幅なダンピングをしていたのである。ダンピングとは値引きのことである。取引先は原材料産業である鉄鋼に対して、常に値下げを望んでいる。そんな中、それを2つ返事で「ああいいですよ」と気前よく了承すれば、それはいやでも売れるはずである。

 ――彼は営業部から外された。だが優秀な彼は、製造所に併設の研究部で再起をはかることになったのである。

 私が製造所で原価計算の担当になったころ、彼はすでに40歳少し前の年齢であった。昼になると、研究部棟の玄関口を出て、製造所内にある食堂へ徒歩で向かう彼の姿をよく目にした。実はこの製造所でも、彼の武勇伝が密かに語り継がれていた。

 それを遡ること5年前、その日の朝一番、彼は勤務態度のことで、研究部長に呼ばれて叱責された。彼は自分の机に戻ってからも、口の中で「ちくしょう」「ばかやろう」という言葉を繰り返していた。そうこうしている内に時刻は午前 10 時を回っていた。お茶の時間である。当時の僕の会社では、午前 10 時と午後3時には、当番がひとりひとりにお茶を出して回る習慣があった。こんなことをいうと、いまどきでは男女差別になってしまうが、それは女性社員の仕事だったのである。だがその日は、コーヒーを淹れるのが趣味だという渋見さんが、その役を買って出た。朝方、部長に怒られて、そのことを反省でもしたのだろうか。彼は一転、ニコニコとして厨房室へ入って行った。

 それからも、週に 1、2 度は渋見さんが皆にコーヒーを振舞うようになった。

 そんな春の日もやがて工場内の木々の落ち葉が舞う季節となっていた。渋見さんが時おり厨房室へ入るようになって半年が経つ。

 なぜかこのところ研究部長の顔色が悪い。今日は自分のデスクでコーヒーを飲みながら嘔吐した。部長のデスクのすぐ前に坐る課長が、そのコーヒー茶碗へ鼻を向けると、僅かだが異臭がする。製鉄会社の研究部ではあるが、様々な化学的実験もするので、数々の試薬も揃えている。コーヒーにはシアン化物系の毒物が含まれていたのである。今日のお茶の当番はあの渋見さんだ。

 課長が別室で彼を問い詰めた。彼は、半年前から研究部長のコーヒーに、致死量以下の毒物を混入していたというのだ。勤怠のことで叱責を受けての腹いせだった。

 会社では、警察へは報せなかった。部長も入院したわけではない。渋見さんのコーヒーを飲まなくなってからは、顔色も元へ戻った。会社はスキャンダルを恐れたのである。

 僕は経理課の女性社員にはことのほか気を使うようになった。

「武内さんの入れるお茶はいつもおいしいですね」

「フフフッ、いってくれればいつでもお替りもってくるわよ」


2019.09.15

小倉一純


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