大宮君のCDプレーヤー
大宮君がアメリカへ転勤する前だったと思う。どういうわけか同級生の何人かで大宮君の新しい車に同乗し、ドライブをしたことがあった。環七あたりを走った記憶がある。荒れた路面の接地音がタイヤから響いていた。環七は交通量が多く、傷んでいるところも多かったのだ。少し太めのラジアルだったから、そのせいだったのかも知れない。
僕は後部座席に座っていた。前を見ると、助手席のつけ根にあたるフロアー部分から、自由に曲がるフレキシブルアームが伸び、その先にコンパクトなCDプレーヤーが載っかっていた。CDプレーヤーは最先端の音響機器だった。こういう形で社外品のオプションをつけるということは、当時はまだCDプレーヤーが全車に標準装備になる前だったということだ。1980 年代の後半のことで、いまから 30 年以上も前のことである。われわれも 30 になるかならないかの年ごろだったはずだ。おぼろげながら桜咲く季節であったような気もする。
そのCDプレーヤーも、いまでは完全に時代遅れだ。いつの間に自分はこんなに多くの時を越えてしまったのだろうかとふと考えた。僕はこの時のことを、この頃なぜかくり返し思い出す。
――僕はあの時、タイヤの接地音がボーボーとやけにうるさかったのを覚えている。フレキシブルアームの先についたコンパクトCDプレーヤーも、環七の荒れた肌と同調するかのように、細かく振動していた。
生麦君が、
「ポポさん、これっ、いま話題のCDプレーヤーだろ」
というと大宮君が、
「あっ、そうだよ! 社外品だけどな」
といって、信号で停まったすきにチョチョイと操作して音楽をかけた。
僕はその様子を後部座席から見ていて、もうカセットの時代じゃないんだなぁ、なんて思っていた。僕たちは若者で、いつまでも自分たちが時代の中心なんだと、まったく疑うことなく確信していた。
来年の正月明け、拙宅で新年会を開く予定である。いつもの同級生が集まり、その中には大宮君もいる。彼もこのCDプレーヤーのことを、覚えているだろうか。
了
2019.09.22
小倉一純
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