浦河町
札幌の福士関係のコンサルタント会社が新しくホームページを立ち上げたらしく、この会社から「私の作品集since2016」「遠藤進之助の一筆啓上」の両方へフォローがついた。代表取締役と精神科のソーシャルワーカー以外のメンバーが紹介されていないので、まだこの会社の内容はよく分からないが、精神科の病院では手にあまる範囲の仕事をしていこうということではないかと思う。特に、精神病を患っている人々の孤独のケアなどについてだ。統合失調症などの病気には孤独が一番の毒になるのである。
日本では精神科に入院して 50 年なんていう人もいるようである。私も2か月だが、大学病院の精神科へ入院したことがあった。大学受験で失敗してそのまま統合失調症となりもう 30 歳間近だと、大部屋の名物患者である神田君はいっていた。私もその神田君とは同年代だった。彼は、12 年も入ったままだということになる。正直なところ、病気がよくなっても、もう自宅へは戻りたくないと、本音を漏らしていた。あっちの世界のことはもう分からないし、分かりたくもないと彼はいうのである。
そのころの精神病棟はすべてが閉鎖病棟であったと記憶している。監獄と同じだ。少なくとも2回、堅牢な扉のカギを開けなければ、みなが歩く病院の廊下へは出ることができなかった。いまからもう 30 年も前の話である。
その会社のソーシャルワーカーはユーチューバーであり、精神病関係の啓蒙活動も行っているようである。その中で、佐藤愛子先生の夏の別荘がある浦河町の「べてるの家」というのが紹介されていた。
これは社会福祉法人で精神障害者の暮らす家だ。浦河町というのは襟裳(えりも)岬も近い、日高山脈の山麓(さんろく)にある海を臨む町だ。日高昆布をはじめとする漁業や、広い牧場ではサラブレッドを育成している。競馬場を走るお馬さんだ。
この浦河町では、なぜか精神科領域の病の人々のケアに成功しているのである。精神病は薬や入院だけでは治らない。治らなくても、町をぶらぶらし、一般の人とコミュニケーションをし、そこへ溶け込んでいくことによって、だんだんと機嫌よく生きていくことができるようになる。その結果として病気の軽快があるのだ。浦河では、健常者と精神病科領域の病の人々との混在・共生に成功しているらしい。
そういう事例が知れて、本州から移住してきて、この浦河の地で精神科のクリニックを開いた先生もいる。浦河ではなぜか精神科領域のことで成功体験が積めるのだそうだ。これはその移住者であるドクターの言葉なのである。だが、その理由は分からないという。
佐藤愛子先生は長い間、この浦河に建つ別荘で、アイヌの霊障に苦しんだが、裏を返せば浦河の地はとても霊力をもっていて、それが好転すれば、人々の幸福に寄与することのできる不思議な力をもった場所なのではないだろうか。
佐藤愛子先生が高齢でありながら第一線でありつづけるのも、浦河のそんな力に寄るところがあるのかも知れないと、ふとそんなことを思った。
了
2019.09.26
小倉一純
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