難事業
ボクはまだ作家にはなっていないから本当のことは分からないのだが、作家になることというのは、少なくとも自分をさらけ出すことではないかと思っている。
ボクは若いころ、ディスコとカラオケが大嫌いだった。とはいうものの、結果的にディスコにはよく行っていた。ディスコというのは、例えばバブル世代なら誰でも知っているあの有名な「ジュリアナ東京」でも、およそ 5千円を支払えば、飲み放題食べ放題だった。新宿は歌舞伎町の安いディスコでは、同じ条件で 2千5百円からあったと思う。酒の好きだったボクは、そこへ行ってもまったく踊ることはなく、耳栓をしながら水割りなんかを煽っていた。カラオケでは、仕方ないから1曲しかない持ち歌をさっさと披露して、あとは拍手もせずに、酒とつまみに集中した。話がそれたが、何がいいたいのかというと、左様にボクは、自分自身をさらけ出すことが嫌いなのである。というか苦手なのだ。あまり自分を出し過ぎると、前頭葉の辺りがどうもモヤモヤとして、収拾がつかなくなるのである。断っておくが、ボクは人づき合いが悪かったわけではない。酒を酌み交わしながらの意見交換はとても好きである。いつも最後までつき合っていた。だた歌って踊るのが嫌だ、といっているだけである。
作家というのは、普通は人には披露しないところも、好んで見せるようなところがあると思う。いまどきこんなことを書くと、コンプライアンスに反するかも知れないが、「作家というのは、見ず知らずの人に、いきなり自分の肛門のかたちまで見せるような職業である」とボクは思うのだ。
ボクは還暦も近くなって、作家になりたいと真剣に思うようになった。が、当時はまだ自分の気持を文章にうまく表すことは出来なかった。たぎるような情熱はあっても、それを原稿の上で開放してやる術(すべ)を知らなかったのである。無理をしてやり遂げようとすると、前頭葉の辺りがモヤモヤして、気分が悪くなる。吐き気さえしてくるのだ。パソコンの前で、はたと困ってしまうのであった。
そんなボクは自分自身を変えようと、まずは自分を壊すことから始めた。ボクには高齢の両親がいる。父は転ぶ不安があるので、自分の杖を持っている。そんな父を車に乗せて病院などへ連れて行くときの話である。父を車の後部座席へ押し込むと、ボクは父から杖を預かる。後ろの荷台のドアを上げてそれをしまうのだが、その際、ボクは「志村けん」のおじいさんのような真似をして、わざわざ腰を曲げて歩く寸劇をする。隣の奥さんなど、ギャラリーがいると都合がよい。杖を置くと荷台のドアを締め、今度は自分の座るべき運転席へまわる。そのときは、――にわかにしゃんとして――、杖の要らぬ人を寸の間、演じ切るのである。
書けばまだまだいろいろあるが、ボクは人の目から見れば、単なる阿呆(あほう)にしか映らないようなことを、毎日真剣になって実践している。心ある人から「自分の価値をみずから下げるような、そんなことは、もうおよしよ」といわれるが、実はこんなわけがあるのである。
ボクにとって作家を目指すこととは、こんな心の鍛錬をも伴う、難事業なのである。
了
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