ずっと小説家になろうと思ってきた(新掲載)「ずっと小説家になろうと思ってきた」高校のころつき合っていた彼女に――僕が札幌に行ってパチンコ屋の釘師になったらどうする?――と何度も尋ねたことがあった。 世間知らずの高校生が考えることだから、ろくなことではない。とにかく人生の裏街道を歩くことで辛酸を舐め、それを原稿用紙に綴ろうと考えていた。当時から僕は小説家になりたいと思っていたのだ。 自虐的かもしれないが、僕にはそういう酔狂なところがある。 高校時代には、勉強もそっちのけで文庫本を漁った。SFも海外文学も日本の小説も、ひと通りは読んだ記憶がある。 僕には発達障害があって……(以降執筆中)2022.09.23小倉一純 2022.09.29 06:45
兵どもが夢の跡(随想)「兵どもが夢の跡」(随想)もう35年も前の話だが、僕が社会人となったころには、日本金属工業、日本ステンレス、日本冶金工業という3社があった。これらは、電気炉でスクラップを溶かしステンレス鋼を製造する会社だ。売上はそれぞれ1千億円程度だった。いまどきの巨大企業からみれば大した額ではないが、もっと規模の小さな鉄鋼会社も数多くあった。当時はこれらを「ステンレス専業3社」と呼んでいた。それぞれの労働組合も、常に他の2社の様子を睨んで動いていた。その3社のうち最初に名前が消えたのは日本ステンレスだった。住友金属工業に合併された。それからしばらく経って、僕のいた日本金属工業が、日新製鋼と合併した。実質的には吸収合併といっていいかも知れない。日本金属工業の名前は消え、日新製鋼となった。時を置かずその日新製鋼も、日本製鉄に飲み込まれ、名前を日鉄日新製鋼と変えた。日本製鉄というのは新日本製鐵の新社名だ。そして本日2020年4月1日、その日鉄日新製鋼も、日本製鉄に合併され解散した。これですべてが、日本製鉄の名のもとに一本化された。鉄鋼は合併を繰り返しスケールメリットを追求することで、みずからの生き残りを模索しているのだろう。話は相前後するが、日本のインフラ整備があらかた終わり、鉄鋼は構造不況業種といわれ続けてきた。会社は利益なき繁忙に追われた。注文はあるが取引価格を叩かれ、つくればつくるほど赤字を出した。だが、製造をやめると会社は潰れてしまう。まさに自転車操業だ。これが川上産業の宿命だった。川上産業というのは、完成品メーカーなどの川下産業に対して、原材料メーカーを指していう言葉だ。製造所で働いていた僕らは、残業代を自主返納してまで頑張っていた。もっとも僕は入社5年で転職してしまったので、大きなことはいえない。だが、そんな思いまでして働いた会社があっさりと消えてしまった。社会人としてのイロハを教えてくれた会社でもあったので、感慨もひとしおだ。会社って一体何なのだろうか。誰のためのものなのだろうか。苦楽をいっとき共にした思い出だけがひとり歩きをするようになるなんて……。「夏草や兵どもが夢の跡」という芭蕉の句が脳裏をかすめる。元ドリフターズの志村けんさんが亡くなってしまった。影の薄いところなんて微塵もなかったのに。人も会社も、こちらの想いとは関わりなく、サッと姿を消す。無常である。了小倉一純2022.03.31 12:47
会社消滅「会社消滅」本日、3月31日をもって、僕が社会人となって最初に勤務した会社がこの世から姿を消します。わずか5年の在籍でしたが、僕が初めて社会の風を受けたのが、この会社でした。 図らずも経理課―ビジョンのない僕には特に希望などなかったのですが―に配属となり、僕はとてもショックを受けたことがあります。それは、自分がまったく仕事ができなかったことです。 経理課では、高校を卒業して経理の専門学校に1年通った女子社員の方が余程、役に立っていました。当時、銀行でもこんな笑い話がありました。ある大卒が、 「すみません。この帳面に借方、貸方というのがあるんですけど、どこから借りて、どこに貸した、という意味なんでしょうか」 (周囲唖然) 僕は原価計算係でしたので、借方貸方は分からなくても仕事はできましたが、まあ似たようなことでした。 その後、僕は、事務処理ということと真剣に取り組み、役に立たない大卒と言われないように、技能向上に心血を注ぎました。今もそのことを肝に銘じています。 元来、大雑把でズボラな僕ですが、この会社でショックを受けたお陰で、今では様々な事務処理を上手くこなせるようになりました。そういう意味で、この会社は、僕にとっては、大きなターニングポイントとなりました。 その会社が結局、日本製鉄という大きな会社に飲み込まれてしまいました。かつての本社も、横浜、川崎、相模原の工場も、もうありません。そして、最後まで稼働していた、知多半島の付け根の臨海工場も、本日をもって稼働停止となります。 製鉄業は素材産業で、物の流れからいっていわゆる「川上産業」に当たります。1999年に日産の総帥としてカルロス・ゴーンが着任してからは、部品、素材メーカーへの徹底的な値引き要求の煽りで、そのしわ寄せを最も受けたのが、最も川上の素材メーカーでした。 その「ゴーン・ショック」が、製鉄業界の「業界再編」を促進したと言われています。注文はあるから忙しいが、利益が出ない。それどころかつくればつくるほど赤字が出る。こういうのを「自転車操業」と言います。業界では「利益なき繁忙」と言い、とても苦しんだようです。 もっとも、僕はそのころはもう他社に移っていましたから、それを直接経験したわけではありません。 そんな思い出や想いのある会社です。それが、今日でこの世から姿を消すことになりました。残念、の一語に尽きます。 了小倉一純 2022.03.31 2021.08.26 03:54
朝鮮海峡・父の中の山本さん【まえがき】僕が北大を受験したのは、僕の父が役人(旧電々公社)だったからというだけではありません。役人は、旧帝大びいきです。 父は、僕が子供の頃から「北大」「北大」と、ことあるごとにその名前を口にしていました。 それは、電々公社で父の先輩だった山本さんが、北大の卒業生だったからです。 作品をお読みになっていただければ分かると思いますが、山本さんは自分の正義を貫きました。圧力に屈しない生き方をしました。そんな山本さんに対する父の尊敬の念が、僕に「北海道大学」という学校の存在を強く印象づけました。 終戦後5年が経過し、今度は、朝鮮半島で「朝鮮戦争」が勃発しました。当時、日本に駐留していた進駐軍が、連合国軍として朝鮮半島に赴きました。その大将もマッカーサーでした。2021.08.25 02:50
純文学の日はまた昇る 純文学が華やかなりし頃、その作家と呼ばれる人たちはいわゆるインテリでした。物事のプリンシプル、つまり原理原則を分かった人たちです。夏目漱石や森鴎外、もう少し新しいところでは川端康成など、優秀な学校歴、学歴を持った作家たちも多くいます。一方、民衆にはまだまだ無学な人も多くいました。そんな中、インテリと呼ばれる人たちは、世の中のオピニオンリーダー的な存在だったのです。プリンシプルをわきまえていれば、その枝葉である各論へも自ずと通ずる、ということがあったからです。大元のところの考え方を理解していれば、現実の枝葉の部分も、こうあるべきだと自然と分かるという意味です。ですから、市井(しせい)の民が何かで困った時には、横丁には、頼るべきインテリの先生が存在していたのです。 ところが今は違います。たとえば現在のグローバリゼーションということを理解するのに、総論では理解できないですよね。各人がパソコンなどの通信手段を持ち、SNSも駆使して、情報が一瞬で世界を駆け巡る、つまり瞬時に情報共有できてしまうところにグローバリゼーションというものがあるわけですよね。もちろんそれだけではないですが。投資の世界でも、今はボラリティーが大きいでしょ。値動きの幅がでかいということです。乱高下とも訳せます。素人投資家には難儀な時代となっています。逆に言えば、買いと売りのタイミングを読めれば、右肩上がりの時代を終えた今でも、儲けるチャンスはまだまだある、ということです。理論的には、です。ですがその読みは難しいですよね。グローバリゼーションのお陰で、一瞬にして相場も変わるからです。このグローバリゼーションというのは、人の個々の動きが集約されて総体としての傾向となる、という態(てい)ですよね。つまり、各論から総論へ、という方向性で見ていかないと、その本質には迫れない、ということなんです。もう昔の、横丁のみんなから頼りにされたインテリでは太刀打ちできないのです。時代の流れは、各論から総論へ、という考え方を我々に要求しています。 紙文化が勢いを失くし活字離れが進んだ、ということとはまた別に、こういう思想の質の変容により、純文学というものも、時代の陽の目を浴びなくなってきていることは事実です。芥川賞作家の西村賢太っていますでしょう。ちょっとアウトローな感じのする作家さんです。「先生のご本を読んで、どんなことが得られますか」とインタビュアーに聞かれた時、「得るもんなんて、何もありませんよ」と言い切ってしまっています。今の文学を象徴するような話であると僕は思いました。少なくとも僕が若かった頃の文学とは違います。僕が愛した白樺派の小説なども、読めばそれなりのものを得ることが出来ました。人生に悩んでいると、小説を読んでみろ、と大人も言いました。それが今や、芥川賞作家自身が「何もないですよ」と言い切ってしまうような時代なのです。いわゆる純文学やその作家は、総論から各論へという方向性がひとつの意味を持っていたころの、オピニオンリーダーなのです。各論から総論へという、個別の知識を身に付けていないと物事の本質へ迫れない現在には、その役目を果たせないでいる、というのは事実なのです。 ですが、ですがなんですよ。個別の科学技術論は重要だが、アート、音楽、哲学、文学のようなアナログで総論的なものが、そういうものの価値観、考え方が、時代の更なる革新においては、必要になってくるのです。今、世の中は理科系時代ですよね。文科系廃止論みたいな風潮になっています。文系学部の大幅縮小みたいなことになっていますよね。国公立大学の文系学部の教員たちも、こういう現状にブーブー文句を言っています。もちろん自分たちの生活のこともあるでしょうが、学問的な正当性のことを、彼らは言いたいのです。こういう文系学部の分野を評価しないのは間違いである、と言いたいのです。こういう分野にこそ、もっともっと大きな、時代の本質的な飛躍を促す、物の考え方が隠れているのです。つまり、個々の優れた各論的要素群を有機的に結び付けて、より人類に役に立つ形で再配置もしていくときの、核となるような何か、牽引的存在となる何かは、各論にではなく、こういうアート、哲学、文学のアナログな総論的な物の中から、それが生まれて来るのです。 ですから僕は、もう1度、従来の文学が時代の陽の目を見る時が来ると言いたいのです。というか、そうでなければならないと思うのです。滅びゆく文学に、懐古趣味でしがみついているわけではないのです。第2の人生で、することもないので、文学をやっているわけではないのです。来たるべく時代の要請に応える為に、日々爪を研いでいるのです。引いては、時代を引っぱる草の根の1本にもなろう、と僕は考えているのです。そういうことを僕は、言いたかったのです。2021.12.29改題再UP小倉一純了2021.07.15 17:24